第3章 【直哉×魔性女中】
本邸へと逃げ帰った奥方は、狂ったように調度品をなぎ倒し、荒れ狂った。
だが、どれだけ叫ぼうと、どれだけ涙を流そうと、冷え切った寝所に夫が帰ってくることはない。
数日が過ぎ、屈辱が毒のように全身を回りきった頃、彼女は取り憑かれたように再び山間の別邸へと足を向けていた。
「……また、ここにいるのね」
宵闇に紛れ、息を殺して邸の奥へと忍び寄る。
漏れ聞こえてくるのは、本邸の静寂とは対極にある、生々しい熱を帯びた音。
奥方は震える指先で、わずかに開いた隙間から部屋の中を覗き見た。
そこにいたのは、禅院家の次期当主としての矜持を一切かなぐり捨て、ただの「一人の男」として剥き出しになった直哉だった。
「あ、……ぁ、、……っ!」
直哉は、彼女の豊かな肉に埋もれ、骨抜きにされたような恍惚の表情を浮かべながら、一心不乱に腰を振っている。
焦点の合わない、熱病に冒されたような瞳。
彼は彼女の首筋に何度も、何度も鼻を押し当て、喉を鳴らして喘ぐ。
「可愛い……ほんまに愛しい。
……好きや、愛しとる。
お前しかいらん……お前以外、何も……っ」
囁かれる言葉は、どれも正妻である自分にこそ向けられるべきものだった。
「……。ずっと、こうしておりたい…っ」
直哉は彼女の腕の中で、まるで母胎に回帰しようとする赤子のように、あるいは彼女という猛毒に溺れることを愉しむ狂人のように、愛を囁き続けている。
彼女はその光景を前に、叫び声すら忘れ、ただ石のように硬直した。
自分には指一本触れず、義務的な言葉すら惜しんだ夫が。
自分を見下していたあの冷徹な三白眼を、あんなにも淫らに、あんなにも慈しみ深く細めて、年嵩の女中に愛を乞うている。
自分と結ばれているはずの「直哉」という男の魂は、とうの昔に、あの女に喰い尽くされていたのだ。
覗き見る隙間の向こうでは、直哉が彼女の唇を貪りながら、再び激しく腰を突き立てている。
愛し合う二人の暖かな情景は、奥方にとっては、どんな地獄の責め苦よりも残酷な、救いのない光景だった。
奥歯を噛み締めすぎて、口内に鉄の味が広がる。
彼女の絶望は、静かに、そして確実に、取り返しのつかない殺意へと変質していった。