第3章 【直哉×魔性女中】
本邸の冷徹な空気など、直哉の頭には微塵もなかった。
彼は別邸の門を潜るなり、まるで重荷を下ろしたかのように足取りを軽くし、愛しい人が待つ部屋へと駆け込んだ。
「、見ろ、今日はあの老舗の和菓子を手に入れたぞ。
お前の好きなやつや」
「まあ、直哉様。わざわざあそこまで……」
出迎えたが驚く間もなく、直哉は彼女の腰を抱き上げ、その場をくるくると回った。
当主としての重厚な羽織が翻り、子供のような無邪気な笑い声が部屋に響く。
「……っ、ほんまにお前は軽いな。
俺がおらん間、ちゃんと飯食うとったんか?
ほら、今すぐこれ食わせたる」
「もう、直哉様ったら……子供みたいでございますよ。
降ろしてくださいませ、恥ずかしい」
彼女は困ったように眉を下げながらも、その頬を桜色に染めて照れ笑った。
直哉を包み込むその眼差しは、慈愛と、一人の男への情愛が混ざり合った、この上なく暖かなもの。
直哉はその微笑みを見るだけで、一日の疲れも、外の世界の毒も、すべてが浄化されていくような至福を感じていた。
二人の間には、血の通った、甘く穏やかな時間が流れている。
だが、その暖かな聖域は、外側の闇から冷酷に観察されていた。
別邸の庭の隅、木々の影に隠れるようにして立つ人影があった。
直哉の正室である。
彼女は、本邸では見たこともないような夫の「男」の顔、そして、あの女中に向けられる甘い、甘い眼差しを、まざまざと見せつけられていた。
(……あんな顔、私には一度も見せたことがないのに)
自分には指一本触れず、挨拶さえ義務的にこなす夫が、あんな年嵩の女中を抱き上げ、はしゃいでいる。
自分には決して開かれることのない、直哉の心の最奥。
奥方は、自身の爪が掌に食い込むのも構わず、音を立てて奥歯を噛みしめた。
二人が笑い合い、菓子を口に運び合う睦まじい光景は、彼女にとってどんな呪いよりも残酷な光景だった。
「……汚らわしい。あんな女に、……直哉様を……」
憎悪に歪んだ呟きが、夜風に消える。
直哉の腕の中で幸せそうに目を細めると、それを崇めるように見つめる直哉。
その歪で純粋な「愛の城」が、今、正妻の黒い嫉妬という牙によって、静かに狙われ始めていた。