第3章 【直哉×魔性女中】
奥方は立ち止まり、静寂の支配する廊下でふと背後を振り返った。
曲がり角の向こう、吸い込まれるように消えていった女の後ろ姿。ただの女中にしては、あまりに隙がなく、そして浮世離れした空気。
何より、あの口元のほくろが、網膜の裏に焼き付いて離れない。
「……あんな女中、いたかしら」
低く、けれど鋭い声が、隣に控える古参の女中に向けられた。
問いかけられた女中は、一瞬だけ肩を強張らせ、伏目になった。
「はい。……以前は本邸に務めておりましたが、現在は山間の別邸に回されております」
「別邸?」
奥方の眉が、不審げにぴくりと動いた。
「なぜ、わざわざそんな遠くに。
あそこに守るものなど何もないでしょう?」
「それは……その……」
女中は言葉を濁し、視線を泳がせた。
「元々は直毘人様がお手元に置かれていた者なのですが……」
そこまで言いかけて、女中はハッとして口を噤んだ。「直毘人の愛人」という噂は、この屋敷では公然の秘密だが、正室に聞かせるべき類のものではない。
「続けなさい」
奥方の声が冷え冷えと響く。逃げ場を失った女中は、観念したように声を落とした。
「……直哉様が、いたくあの方をお気に召されたようでして。
直毘人様がそれを懸念され、お二人の距離を置くために……直哉様から引き離すようにして、別邸へ移されたのだと聞き及んでおります」
「……直哉様が?」
奥方の喉の奥から、乾いた笑いのような音が漏れた。
自分が婚礼の日から今日まで、一度としてまともに目を合わせてもらえず、指一本触れられていない理由。
直哉が仕事と称して足繁く通う、あの別邸。
あんな、年嵩の、得体の知れない女中一人に、夫の心は奪われているというのか。
「……そう。直哉様が、『お気に召した』のね」
奥方は、女が消えた方向をじっと睨み据えた。
その瞳には、本妻の誇りを汚された怒りと、夫を奪われた女としての、昏い嫉妬の炎が灯っていた。
一方で、そんな波乱が本邸で起きているとは露知らず、直哉は今この瞬間も、仕事を切り上げて彼女の待つ別邸へと、狂おしい渇望を抱いて車を走らせている。