第3章 【直哉×魔性女中】
別邸の奥まった一室。は行灯の淡い光の下、静かに針を動かしていた。
外では禅院家嫡男の婚礼を祝う騒ぎが続いているはずだが、この山間の静寂には、そんな喧騒は届かない。
その時、静寂を切り裂くように玄関の扉が乱暴に開かれた。
「……直哉様?」
現れた男は、婚礼の正装である黒紋付を身に纏い、肩で息をしていた。
その表情には、新婚の夜を迎える男の喜びなど微塵もなく、ただ焦燥と、狂おしいほどの執念だけが渦巻いている。
「……はぁ、……はぁ、……やっと、来れたわ。
あんな掃き溜めみたいな祝宴……一秒でも早う、抜け出してやりたかった」
直哉はの姿を認めるなり、足元もおぼつかない様子で詰め寄り、彼女を抱きしめる。
紋付の硬い生地越しに、彼の心臓の音が激しく、不規則に打ち付けているのが伝わってくるようだった。
「直哉様……そのようなお姿で。今日は、奥様が待っておいででしょうに……」
が静かに、けれど悲しげに諭そうとすると、彼は彼女の肩に深く顔を埋め、唸るように声を絞り出す。
「……言ったやろ。あんな女、俺には関係ない。
三三九度の盃も、親父の説教も、全部上の空や。
俺の頭の中におったんは、……この、静かな別邸と、お前だけや!」
直哉は顔を上げ、の頬を両手で包み込む。
その指先には、緊張と、彼女を失うまいとする恐怖が混ざった震え。
「見てみぃ。俺は、自分に言われた通り『禪院家の当主』としての義務を果たしたぞ。
……望み通り、あの家に嫁を迎えた。
せやから、もう文句はないやろ?
今、この場所では……俺は、自分のだけのものや」
婚礼の衣装を身に纏ったまま、彼は彼女の膝に崩れ落ちる。
豪華な黒紋付が畳に広がり、その光景はひどく歪で、美しくもあった。
彼はの手に自分の頬を擦り寄せ、熱に浮かされたように囁く。
「……婚礼の……忌々しいあの女の匂いも全部消してくれ。
自分以外、誰も触れんように、全部、上書きしてくれ…」