第3章 【直哉×魔性女中】
深夜、行灯の火だけが静かに揺れる当主の居室。
そこには、昼間の喧騒とは無縁の重苦しい沈黙が流れていた。
禅院直毘人は、手元の杯をゆっくりと傾け、目の前で端座する女に視線を向けた。
彼女はいつものように穏やかな、天女を思わせる微笑みを浮かべているが、その瞳の奥には揺るぎない決意が宿っている。
「……何や。直哉が、お前に懐きすぎとるか」
直毘人の野太い声が、静寂を震わせた。
はそっと伏目になり、口元のほくろをわずかに動かして答える。
「直哉様は、あの日から私に幼少期のような甘えを見せられます。……ですが、最近はそれだけではございません」
「男の顔をしとる、と言うんやな」
「はい。あれは危うい熱でございます。
直哉様はこれから、この禅院家を背負って立つお方。
私のような、正体も知れぬ年増の女中に執着し、心を乱されるのは、この家にとっても、直哉様ご自身にとっても、決して良いことではございません」
彼女は一度言葉を切り、深く、丁寧に頭を下げた。
後毛がさらりと畳に落ち、その白い項が露わになる。
「当主様……。
どうか、私と直哉様を引き離してくださいませ。
これ以上の深入りは、あの御身を焼き尽くす毒となります」
直毘人は鼻で笑い、酒を飲み干した。
「……お前、自分がどれほど酷なことを言うとるか分かっとるんか。あのガキから唯一の『拠り所』を奪えと言うんやぞ」
「……それが、この家で生きるということでございましょう?」
顔を上げた彼女の微笑みは、冷徹なほどに美しかった。
直毘人の愛人という噂さえ、この女にとっては直哉を遠ざけるための都合のいい盾に過ぎないのではないか——そう思わせるほど、彼女の態度は徹底していた。
「……よかろう。お前をしばらく本宅から離し、別邸の差配に回す。直哉には俺から言い聞かせておくわ」
「…寛大なお計らい、感謝いたします」
彼女は再び頭を下げ、静かに部屋を去ろうとした。
その背中を見送りながら、直毘人は独り言のように呟いた。
「直哉の奴……。お前を失って、真っ当な当主になるか、それとも狂うか。……見ものやな」
彼女の足が、一瞬だけ止まる。
けれど、彼女は振り返ることなく、暗い廊下へとその姿を消した。