第1章 【直哉×働き者女中】
屋敷の門をくぐり、直哉が歩みを進める先は、普段彼が好んで足を向けるような格式高い場所ではなかった。
ただの街並み、それもとりたてて目的があるようにも見えない、気まぐれな散策に近い。
は、常に彼の背中を見つめながら歩いた。
直哉の歩幅は意外にもゆったりとしていたが、それでも女の足では追いつくのに必死だった。
道中、彼は一度も振り返ることはない。
かといって、何かを命じるわけでもなかった。
茶屋に寄るわけでも、買い物を楽しむわけでもない。
ただ、京の町を流れる風を浴びながら、彼は悠然と歩き続ける。
はといえば、いつ「あれを買ってこい」「これを調べろ」と言われるかと身構えていたが、肩透かしに終わった。
(本当に、ただ歩いているだけ……?)
手持ち無沙汰に、は自分の空いた両手を見つめる。
本来なら今頃、自分は炊事場で野菜を刻んでいるか、縁側の雑巾がけを終えているはずだった。
それなのに、今はただ、午後の柔らかな陽光を浴びながら、この美しい男の影を踏まないように歩いている。
前を歩く直哉が、ふと立ち止まった。
も慌てて足を止める。彼は道端に咲く名もなき花を見るでもなく、ただ空を仰いでいた。
「……」
「はい、何でしょうか」
背を向けたまま、直哉が独り言のようにつぶやく。
「外の空気吸うてたら、少しはマシな顔になるかと思たけど。
相変わらず、せかせかと落ち着きのない女やなぁ」
その言葉に、は思わず自身の顔を撫でた。
自分では無表情を貫いているつもりだったが、心のどこかで「戻ったら溜まった仕事をどう片付けようか」と考えていたのが透けて見えたのかもしれない。
「申し訳ございません。慣れないことですので」
「慣れろ。お前はもう、飯もつくらんでえぇ。掃除もいらん」
直哉がゆっくりと振り返った。
その瞳には、屋敷で見せる苛立ちとはまた違う、静かな執着が宿っている。
「後ろに立ってたらええわ。
俺の視界におれば、それでえぇ」
その宣言は、女中としての存在価値を全否定するものでありながら、
同時に、この男の世界に彼女を閉じ込めるという呪いのようにも響いた。