第1章 【直哉×働き者女中】
「……直哉様が私を必要としないのと同じように、私も、貴方のことは必要じゃありません」
その言葉は、刃物よりも鋭く直哉の胸を貫いた。
は震える手で、髪に挿されていた、あの高価な簪を抜き取った。
直哉が「お前に似合う」と言って微笑みながら贈ってくれた、蜜のような思い出の象徴。
それを、彼女は躊躇いもなくテーブルの上へと突き返した。
「どうぞ、次の誰かを可愛がる『ごっこ遊び』でもしてください。……さようなら」
椅子が床を鳴らす音を残し、彼女は一度も振り返ることなく店を飛び出した。
「……は?」
直哉は、目の前のテーブルに転がる簪を、ただ呆然と見つめていた。
金細工の鈍い光が、今の自分を嘲笑っているかのように見えた。
必要じゃない?
この俺を、禪院直哉を。
脳裏に、彼女が他の男に笑いかけたり、どこかの知らない誰かのために汗を流したりする姿がよぎった。
(……そんなん、耐えられるわけないやろ)
胸の奥が、焼け付くように熱い。
怒りか、焦燥か。
いや、それは生まれて初めて味わう「失うこと」への恐怖だった。
「待てや、……!」
ハッとした時には、体が勝手に動いていた。
簪も、周囲の視線も、何もかもを放り出し、直哉は店の外へと駆け出した。
「待て言うとんのが聞こえんのか!」
人混みを縫い、必死に走る。
先を歩く、あのシミ垂れた、けれど愛おしくて堪らない背中を探して。
自分は確かに、愛し方を知らなかった。
彼女を愛でることで、自分の空洞を埋めていただけかもしれない。
けれど、彼女がいない世界は、今までのどんな贅沢よりも、どんな権力よりも、薄汚くて退屈なものに思えて仕方がなかった。