第1章 【直哉×働き者女中】
町の喧騒に紛れれば、あの男の影から逃げられると信じていた。
路地裏の小さなカフェ。
コーヒーの苦い香りが漂う店内で、は貪るように求人雑誌に目を通していた。
「住み込み可」「食事補助あり」……そんな文字を指でなぞりながら、自らの労働で自らの腹を満たす、泥臭くも確かな日常を必死に手繰り寄せようとしていた。
その時だった。
「――見つけたわ、クソ女」
低い、地を這うような声と同時に、右肩を砕かんばかりの力で掴まれた。
心臓が跳ね、雑誌がテーブルから滑り落ちる。
振り返るまでもない。この、全身の血が凍りつくような威圧感の主は、世界に一人しかいない。
「……なお、や、様……」
「お前、こんな薄汚い格好しとったらわからんやろ。何やその端切れみたいな服は。嫌がらせか?」
直哉は病み上がりなのか、いつもより少しだけ頬が削げて見えた。けれど、その瞳に宿る光は以前よりも鋭く、狂気的なまでの執着を孕んでいる。
彼はが身に纏う安物のトップス心底不快そうに睨みつけ、無理やり彼女を立たせた。
「帰るぞ。お前がおらんせいで、屋敷の空気が淀んでしゃあないねん」
「嫌です……っ、放してください!」
は必死に腕を振り払おうとしたが、男の力には到底及ばない。
逃げようと一歩踏み出した足も、直哉の長い腕に阻まれ、瞬時に壁際へと追い詰められた。
「逃げられる思うとんのか? 俺がどれだけお前を探したと思ってんねん。
お前、何考えとんや。
俺の情けを無碍にして、こんな掃き溜めみたいなところで何がしたいんや…」
直哉の低い怒声が狭い店内に響き、客たちの視線が集まる。
けれど彼はそんなことを気にする男ではない。
ただ、自分の所有物が勝手に意志を持って動いたことへの、苛立ちと焦燥に支配されていた。