第1章 【直哉×働き者女中】
どれほどの時間が経っただろうか。
不意に、パタパタと廊下を走る足音が聞こえ、襖が勢いよく開いた。
「……っ、まだ泣いとんのか。お前、ほんまに面倒な女やな」
戻ってきた直哉は、肩で息をしていた。
一度は怒りに任せて飛び出したものの、泣き顔のまま残してきた女が気になって、結局戻ってきてしまったのだ。
直哉は床に突っ伏すの横に膝をつくと、その細い肩を抱き寄せ、耳元で低く囁いた。
「……泣くな。俺がお前をこれだけ囲うてるのは、お前を汚したないからや。
他の奴らと同じ泥にまみれんでええ。お前はただ、俺に愛されてたらええねん」
その声は、驚くほど甘く、優しい。
恋も愛も知らない、ただ働くことだけが取り柄だった女中にとって、それは致死量の毒を含んだ蜜のような言葉だ。
直哉の指が涙を拭い、熱を帯びた視線が自分を射抜く。
の頬は、夕焼けのような熱を帯びて赤く染まった。
(ああ、この人は……こんなにも、私のことを……)
理屈ではなく、本能が彼に屈服してしまう。
自分を縛り付けているのは「支配」ではなく「愛」なのだと、自分に言い聞かせるように、は彼の胸に顔を埋めた。
だが、それでも。
直哉の手中に落ち、その熱い抱擁に身を委ねながらも、の心には消えない欠落があった。
直哉は彼女を抱きしめはしても、やはり何もさせようとはしない。
翌朝も、その翌朝も。
直哉に愛される「特別な女」になったはずのは、やはり何も持つことのない、空っぽの両手のまま、美しく飾られた鳥籠の中で静かに呼吸を続けることしかできなかった。