第3章 轟焦凍のHERO童貞理論
「あんまり綺麗にしてないけど、入って?」
「………お邪魔します」
何度か来たことがあった凪の家。いつもと違うのは廊下に湿った空気が残り、石鹸の名残が薄く溶けている。未だ自分の知らない日常に踏み入れることに凪を目の前にして緊張している自分に気づく。
「何か飲む?」
「いや、いい」
「こんな時間にどうしたの?」
「凪に会いたくなった」
「もしかして私がこの前泣いちゃったの気にしてた?」
「泣かせた俺が悪い…」
「そんなことないよ。私が深く考え過ぎてただけ、私が悪いの。距離をとった方がいいのかななんて珍しく私らしくないこと考えてた」
普段は明るい凪に自分自身を否定する言葉まで引き出してしまった、その事実が重くのしかかる。
「俺は、嫌だ」
「私だって嫌だよ。こんなことでギクシャクしちゃうのは…」
「自分の不甲斐なさのせいで嫌われたのかと思った」
「嫌いじゃないよ。嫌いだったらこんなに悩まない。元気だけが取り柄の私がご飯も食べられなくなったのなんて初めてだよ」
「飯、食えてないのか?」
「全然食べてないことはないけど、なんとなく食欲なくて…。大学も始まって忙しくなったのもあったのかな。焦凍のせいとかじゃないからね」
「ごめん…」
「謝らないでよ。私が勝手に悩んでただけだから…」
苦笑する笑顔にすら感情は乱れる。また凪の優しさに甘えて、壊したくない気持ちが色濃く重くなる。
「本音を言ってもいいか?」
「……うん、聞きたいな、焦凍の本音」
「俺は凪が欲しい。でも、俺が凪を壊さないかってそれが怖かった」
「そうだよね。焦凍、優しいもん」
「いや、俺は自分にも凪にも甘えていただけだ」
「私も怖いよ?でもそれ以上に焦凍が好きだから。だから、ずっと待ってた。大切にされてるのも全部分かってる。会うと必ずキスもハグもしてくれて時間ギリギリまで一緒にいてくれて、愛されてるっていつも感じてた。焦凍から何も求めないのに、これ以上望んじゃうのが間違いなのかなって。そう言い聞かせることで自分を誤魔化してたの」
優しいから踏み出せない、それは俺も凪も同じで何かが足りなかったわけじゃない、ただお互い違うベクトルで苦しんでいただけだった。今、2人の答えが静かに重なる。