第3章 ジムにて
「名無しちゃん⋯⋯そんなの行くわけないだろう? 君をナンパしてきた奴だぞ? なぜ俺が仲良く酒を飲めると思うんだい」
「あっ⋯⋯ごめんなさい、そんな本気で怒るとは⋯」
「本気にもなるさ。いや違う、もちろん君に怒ってるんじゃない。一人にしてしまった俺が馬鹿なんだからね。あぁ本当に心配でたまらなくなったよ――」
彼は独り言をいいながら自分を責めている。
申し訳ないのは当然だけれど、そこまで真っ直ぐに考えてくれる彼に対し、とても愛おしい気持ちがわきあがってきた。
「いいかい、絶対に知らない男についていかないでね?」
「行かない行かない! 逃げるから大丈夫だよ」
「よかった」
彼はほっとしてあなたに柔らかく微笑む。
「⋯⋯ああでも、俺がこんなことを言う資格はないよね。あんなふうに君を連れ帰っておいて⋯⋯。でも、信じられないかもしれないけど、あれは初めてなんだ。けっして慣れてるとかじゃない。⋯⋯いや、そんなふうに見えないよな⋯」
普段自信に満ち溢れてみえるヴィクトルが、苦悩を深めている。
こういう風に正直な思いをさらけ出してくれるところに、あなたはよりいっそう心が奪われてしまうのだ。
「ヴィクトル⋯⋯ナンパしたの私だし。私も信じてもらえるか分からないけど、初めてだよ。すごく勇気だして、話しかけたの」
「名無しちゃん⋯⋯」
「それに後悔してないよ。ヴィクトルに会えてよかったって思ってる。だって、凄く好きになっちゃったんだ⋯⋯」
彼の揺れる黒い瞳を見つめて、あなたはジムにいることも忘れ、彼の胸に身を寄せそうになる。
そしてハッと我にかえった。
「ごめん⋯! こんな場所で!」
「いや場所はどこでもいいよ。⋯⋯本当に俺のこと、そんな風に思ってくれてる?」
「⋯⋯う、うん。本当だよ。⋯⋯でも、続きはあとにしよう。さっきから、クリスさんがすごいこっち見てる⋯⋯!」
あなたが気付いたとおり、ヴィクトルの部下は一部始終を興味深そうに遠くから眺めていた。
上司に振り向かれ、焦りと愛想笑いを浮かべてトレーニングに戻っていったが。
「そうだね。あとでゆっくり話そう。ああ待ち遠しいな」
そう彼に言ってもらえたのはよかったけれど、あなたは墓穴を掘ってしまったようにも感じていた。
どうしよう。
我慢できずに気持ちを伝えてしまった。でもまだ色々な準備が済んでないのだ。
