第1章 零
「信じて、なんだっけ」
カランと軽い音がして、プラスチック製のシャープペンシルが机の上に転がった。シンプルな赤色のシャーペンは幼なじみにプレゼントされた物で、文房具に拘りのない僕はここ数年ずっとお世話になっている。このノートに書かれた文字達だって、全てこのシャーペンで記したものだ。シャーペンが転がる様をぼんやり眺めていたら、視界から鮮やかな赤がふっとフェードアウトする。どうやら勢いのままに床に落ちてしまったらしい。
芯が折れていないことを祈りながら、椅子を引いて机の下に身を滑り込ませた。古ぼけた椅子は摩擦でギィと嫌な音を奏でる。
さっとペンを拾い上げ、机の上に開かれている質素なノートの間に置いた。安定していて特に動く様子もないし、今度は落ちないだろう。
開かれているページには、先程まで僕が書いていたのであろう文が連ねられている。もうこの続きを書く物はこの世の何処にも居ない。仕方がないので次書き込む際には次のページからにさせて貰おう。これを紡いだ瞬間の僕が終わらせられなかった文の下の空白を埋めるのは、なんとなく嫌だった。
ふわり、と生ぬるい風が室内の空気に溶ける。僕はにわかに立ち上がり、ノートを閉じてから開いたままの窓の側まで足を進めた。剥き出しになっている窓枠に手をかけて身を乗り出す。……ああ、月が綺麗だ。
月の明かりは太陽と違って優しく、仄かで、なのにあたたかい。淡く光るそれにゆるりと手を伸ばしても、僕の肌は光を透かしてはくれなかった。
もう少しだけ近づこうと身を乗り出した刹那、服を掴まれた。振り向く間もなく教室側へぐいと強く引き寄せられる。机達が大きくぶつかり合う音が聞こえる。再び教室が静まり返った頃にお腹に回された腕が、強く僕を後ろに引いた犯人のようだ。
この頃には既に、僕の後ろにいる人物が誰なのかを僕は理解していたのだと思う。僕は一向に弱まらない腕の強さに苦笑しながら、安心させるようにぽんぽんと優しく叩きながら、記憶の果てに残る微かな記憶を頼りに振り返った。
「ひさしぶり、元気にしてた?
……はなこくん」
「っ、一言目がそれってどーなのサ」