第1章 火の粉【斎藤一】
翌日は、いつもより風が冷たかった。
空はどこまでも澄み渡り、陽の光は柔らかいというのに、胸の奥にはひどく重いものが沈んでいた。
朝の稽古や雑務を終え、俺はいつものように鍛冶屋へと足を向ける。
昼下がり、炉の前で椿が笑って迎えてくれる――ただ、それだけを思っていた。
だが、角を曲がった瞬間、足が止まった。
人だかり。
焦げた匂い。
誰かのすすり泣く声。
胸の奥がざわつき、喉がひとりでに鳴った。
「……どうした?」
近くにいた町人に声をかけると、彼は俺の羽織を見て息を呑んだ。
「あんた、新撰組の……?あの鍛冶屋の娘さんが……」
その先を聞く前に、足は勝手に動いていた。
人をかき分け、鍛冶屋へ駆け込む。
炉の火はすでに消え、煤だけが黒く沈んでいた。
床一面に、鮮やかな紅が広がっている。
その中心で――椿が、静かに倒れていた。
白い着物が血に染まり、胸元にかけて深紅が滲んでいる。
その小さな手には、父の遺刀が固く握られていた。
「……椿、どうして」
呼んでも、返事はない。
昨夜、あれほど穏やかに笑っていた唇が、もう動かない。
町人の話では、今朝、長州浪士が押し入り武器を奪おうとしたという。椿は父の刀を守ろうとし、抵抗の末に――斬られた。
あまりにも突然で、あまりにも脆い。
呆気ない別れに、幸せだった時間が音を立てて崩れ落ちた。
あの小さな手が、血に塗れている。
あの優しい手で研いで、磨いて、命を込めた刀。
彼女は最後まで、それを離さなかったのだ。
「……すまない」
誰に届くわけでもない言葉が、唇から零れた。
俺は膝をつき、椿の傍らで地に手をついた。
土の冷たさが、現実を突きつけてくる。
炉の跡には、焦げた匂いがまだ残っていた。
それがまるで、彼女の気配のように、静かにそこに漂っていた。
外では、春の風が吹いていた。
昨日と同じように穏やかな昼の光の下で、
世界は何事もなかったかのように、淡々と流れていく。
だが、その光の中に、もう椿はいない。
もう、あの笑顔も、声も、二度と戻らない。
俺は、手の中の刀を見つめた。
血に濡れた刃が、淡い光を返す。
そこに映る自分の顔が、誰よりも惨めで、誰よりも無力に見えた。