第1章 火の粉【斎藤一】
長州藩士が何かを画策している――そんな噂が流れ始めた頃から、京の空気は少しずつ変わり出した。
町の人々は表では笑っていても、その目の奥に、不安の影を宿している。
俺たち新選組もまた、日を追うごとに刀を抜く機会が増えていた。
斬って、斬って、また斬って――
生き延びることが義務のようになり、呼吸するように人を斬った。
それでも、あの鍛冶屋の前に立つと、不思議と心が静まった。
数日ぶりに引き戸を開ける。
熱気と火の匂いが迎えてくれたが、その日はいつものような鉄の音が聞こえなかった。
炉の前では、椿がひとり、膝をついていた。
「斎藤さん、せっかく来てもらったのにごめんなさい。今日は刀、打てないの」
「……何があった」
「父さん、少し寝込んじゃって」
そう言って笑う。
けれどその笑みは、どこか影を帯びていた。
火の手入れをする指先が、かすかに震えている。
その様子に、胸の奥がざらりと痛んだ。
「手を貸そう」
「でも、斎藤さんにそんなこと……」
「構わん。慣れている」
それだけ言って、火箸を取った。
炉の奥で赤く光る炭を均しながら、ふと視線を感じる。
椿がこちらを見ていた。
驚きと、嬉しさと、少しの恥ずかしさが混じった目で。
「……似合わないですね、こういうの」
「そうか」
「でも……なんか、いいですね。斎藤さんが火のそばにいるの」
そう言って、彼女は微笑んだ。
やがて火が落ち着くころ、椿が立ち上がり、茶を淹れて俺の前に差し出す。湯気の向こう、彼女の笑みが少し霞んで見えた。
炉端に腰を下ろし、茶をひと口啜る。
いつもなら、椿は途切れなく話す。
鍛冶のこと、近所のこと、どうでもいい噂話。
だが今日の椿は、違っていた。
言葉を失ったまま、湯呑みの底をじっと見つめている。
「……椿、大丈夫か」
呼びかけると、彼女ははっとして顔を上げた。
「あ、ごめんなさい。なんだか、ぼうっとしてて」
「きちんと眠れているのか」
そう問いかけると、椿は一瞬だけ目を逸らした。
長い睫毛の下で、目の縁が赤く滲んでいる。
「大丈夫。ちょっと寝不足なだけです」
笑ってはいるが、その笑みはあまりにも頼りなかった。