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【薄桜鬼】君を忘れない【短編集】

第3章 薄氷の恋【沖田総司】


胸なのか、心なのか。
分からない。ただ、息ができなくなるほど痛かった。

耳鳴りがし、地面が揺れる。
だが、足は勝手に走り出していた。

あの日の菫ちゃんの声が頭の中をよぎった。

——「明日、外に出られたら……一緒に見ましょうね」

——「私はここにいます、総司さんのそばに」

その“明日”に、彼女はいない。

僕の世界から忽然と消えたみたいに、どこにもいない。

僕のために走って、僕のために買い物へ出て、その道の途中で攫われたんだ。

胸の奥に、焼けるような悔しさが広がる。

剣士だった頃なら追えたのに。
京にいた頃の僕なら、誰よりも早く取り戻せたのに。

刀を握れない僕には——
何ひとつ守れない。

その現実が、何よりも残酷だった。

「……菫ちゃん……どこにいるの……」

弱った肺を押さえ、僕は俯く。
声が震えたのは、咳のせいじゃなかった。

町のざわめきの向こうで、誰かが囁く。

「女の子を連れた男が、川の方へ向かうのを見たって……」

「本当かどうかは分からんが……」

断片だけが、冷たい風のように耳を撫でた。

「……冗談だよね……」

わずかな声が、かすれて漏れる。

「確かめないと。僕が……行かなきゃ」

咳に滲む血の味さえ、今はどうでもよかった。

ただひとつ——
菫ちゃんを取り戻さないと、生きていられない気がした。


川へ向かう道は、果てしなく長く感じた。

肺が焼けるように痛む。
一歩ごとに胸が軋んで、呼吸のたびに血の味が広がる。

それでも足は止まらなかった。

「……菫ちゃん……」

川に近づくほど、空気がひんやりしてくる。
風が水面を撫でる音が、妙に大きく聞こえた。

そして——

人だかりが見えた。

胸がひゅっと縮む。

「斬られて川に捨てられたらしい」

「可哀想にな、若い女の人だってよ」

そんな声が、耳の奥を刺した。

僕は人垣を押し分ける余裕もないまま、ただ、必死に前へ進んだ。

足元がふらつき、視界が揺れ——
それでも、川辺の真ん中までたどり着いた。

白い袖。
淡い藍の柄。

見覚えがありすぎる。

指先が震え、膝が地面に落ちた。

「……嘘だ……」

川の水が、緩やかに流れていく。
ただそれだけなのに、世界が崩れていくように感じた。

そこには——
横たわっている菫ちゃんがいた。
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