第2章 宵の華【土方歳三】
楓と過ごした島原の夜は、妙に短く感じられた。
風の冷たい夜道を、土方は無言で歩いた。
島原を離れるたびに感じるこの胸のざらつきは、酒のせいではない。わかっていながらも、理由を探すのが億劫だった。
夜の屯所は静まり返っていた。
昼間はあれほど人の声と剣の音で満ちていた場所が、夜になると嘘のように沈む。
足音を忍ばせながら廊下を歩く。
床を踏むたびに、板の軋む音が低く響いた。
そのとき、廊下の奥から足音が聞こえた。
「副長!」
監察方の山崎だった。
息を整えながら、やや緊張した面持ちで立ち止まる。
「どうした。こんな夜更けに」
「副長のお耳に入れておきたいお話がございます。……少し、場所を変えてもよろしいでしょうか」
その声音には、いつもの報告とは違う“重み”があった。
一瞬だけ目を細め、頷く。
「……あぁ、俺の部屋に来てくれ」
二人は並んで廊下を歩いた。
山崎は何も言わない。ただ、背筋をぴんと伸ばし、どこか張り詰めた空気をまとっていた。
部屋に入り、灯をともす。
淡い光が畳を照らし、二人の影を長く伸ばした。
腰を下ろし、正面の山崎を見据える。
「それで?話ってのはなんだ」
山崎は一拍置いて、周囲に人影がないのを確かめてから口を開いた。
「副長が島原でお会いになっている女子がおりますね」
「……あぁ、楓か。どうかしたか」
山崎は小さく息を吸い、静かに頷いた。
「その娘――長州の人間です」
灯の揺らぎが、土方の表情を切り取る。
眉が微かに動き、沈黙が落ちた。
「長州……?」
「ええ。元旦那が過激派の尊王攘夷志士でして。勤王の志を掲げ、京で捕り方に斬られたとのことです」
部屋の空気が、わずかに冷たくなった気がした。
夜風が障子を鳴らす音が、やけに遠く響く。
「……そうか」
目を伏せ、ゆっくりと腕を組んだ。
楓のあの片目――灯の中で見た光の奥に、どこか諦めにも似た影があった。
それが、過去の痛みゆえのものだったのか。
それとも――いまなお何かを抱えているのか。
「だが楓とはもう関係のないはずだが」
山崎は目を伏せたまま、続けた。
「それが……近頃、その亡夫の仲間とおぼしき者が、島原に出入りしているようなのです。どうやら楓に会いに来ている様子が」
灯火がパチリと鳴った。
空気が、一気に張り詰めた。