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【薄桜鬼】君を忘れない【短編集】

第2章 宵の華【土方歳三】


「土方さんは……楓がお好きなのですか?」

その言葉に、盃を持つ手がわずかに止まった。

湯気の立つ徳利の向こうで、楓が静かにこちらを見ている。
長い睫毛の影が頬に落ち、灯の明かりに揺れた。

島原へ通うようになって、もうひと月が経つ。

最初は、ただ静かに酒を飲める場所を探していた。
騒がしい座敷よりも、物静かな楓の傍が落ち着いた。
それだけのはずだった。

「……なぜそう思う」

問い返すと、楓は少しだけ目を伏せた。

「いいえ、思い違いならそれで良いのです。ただ……毎晩のようにお越しになるものですから」

「……酒がうまいからだ」

そう答えて、盃を口にした。

だが、酒の味はいつもより薄く感じた。
喉を通る温もりが、妙に重い。

楓は微笑を浮かべながら、徳利を傾ける。
その指先が小さく震えていた。

「そうですか。なら、もう少しお注ぎしますね」

注がれる酒が、灯の光を受けてきらりと光る。
盃の中に映る炎が、ふたりの距離を揺らす。

「お前はどうなんだ」

思わず、言葉が零れた。

「俺が毎晩ここに来るのが、迷惑か?」

楓は驚いたように顔を上げ、すぐに小さく首を振った。

「迷惑なんて……。むしろ、不思議なんです。どうして私なんかに、そんなに優しくしてくださるのか」

「理由なんてねぇよ」

短く息を吐いた。

「お前といると、無駄に考えずに済む。ただ、それだけだ」

楓は一瞬、笑いそうになって、それを飲み込んだ。

「そんなふうに言われると、少し嬉しいです」

灯が揺れ、楓の片目が光を失い、もう片方だけが真っ直ぐにこちらを見た。
その瞳に、何かを宿している気がした。

痛みか、望みか、それとも――。

「……楓」

名を呼ぶ声が、思っていたよりも柔らかく漏れた。
自分でも驚くほどに、胸の奥に温かいものが広がる。

楓は盃を置き、そっと微笑んだ。

「今夜は、少し酔っておられますね」

「そうかもしれねぇな」

短い沈黙。
外から風が吹き、障子の紙をかすかに揺らした。
その音さえも、どこか心地よかった。

俺は盃を伏せ、静かに息を吐く。

「……冷めた酒も悪くねぇが、今夜はぬるいくらいがちょうどいい」

楓は少し首を傾げ、静かに笑った。
その笑みは、いつもより柔らかく、どこか切なかった。
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