第2章 宵の華【土方歳三】
翌夜。
島原の路地は、夜風に乗って三味線の音が漂っていた。
昨夜よりも人の声が少なく、灯りもまばらだ。
提灯の赤が、風に揺れてぼやけている。
足が勝手に、あの店へ向かっていた。
理由など考えるまでもない。
ただ、あの娘の声が耳に残って離れなかった。
戸をくぐると、すぐに女将が顔を出した。
「まぁまぁ、土方様。今宵もお越しくださるなんて」
「酒をもらおう。……静かな座敷がいい」
通されたのは、昨夜と同じ奥の間。
薄暗い行灯の明かりが、畳の縁を照らしている。
湯気の立つ徳利が運ばれ、盃が置かれた。
「誰にいたしましょう?」
「……楓を呼んでくれ」
女将が一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに微笑んで引っ込んだ。
ほどなくして、障子の向こうで足音がした。
静かな足取り。
やがて、あの娘が姿を現した。
「……またおいでになったんですね」
「お前がいると聞いたからな」
言葉に困ったように、楓は少し目を伏せた。
「お酌、いたします」
静かに徳利を取り、盃に酒を注ぐ。
「お前、名前の“楓”ってのは本名か?」
「ええ。……秋に生まれたものですから」
淡々とした口調。
けれど、灯の明かりに照らされた横顔には、確かに影があった。
盃を傾け、ひと口飲む。
温もりが舌に広がった。
「土方さんは……なぜ、私のような醜女の相手をなさるのです?綺麗な姉さん方は、たくさんおられますのに」
俺は少し眉をひそめ、笑うように息を吐いた。
「お前は醜女なんかじゃねぇ。誰よりも綺麗だ」
楓は驚いたように目を見開き、すぐに視線を逸らした。
「……変な人」
それでも、唇の端がわずかにほころぶ。
灯の明かりが、その笑みをやさしく照らした。
沈黙が二人を包む。
遠くで笛の音が鳴り、虫の声が夜を撫でていく。
盃を満たす音が、やけに鮮やかに響いた。
楓は何も言わず、そっと酒を注ぐ。
灯の中で、酒の表面が静かに揺れた。
「……あなたとなら、酒も悪くないですね」
その声に、思わず笑みを浮かべる。
「そうだろ」
言葉は少なくとも、座敷の空気はどこか穏やかだった。
互いの孤独が、そっと触れ合うような静けさ。
その夜、二人の距離は確かに近づいていた。