第9章 嗜血
霧島は廊下を歩きながら、痛む手首を何度も押さえた。
じわじわと血がにじみ、指先まで熱を帯びているのがわかる。
痛みよりも、赤く濡れた自分の手が目に入るたびに、さっきの光景が鮮明によみがえった。
(早く……手当てを)
歩を進めるたび、足音がやけに響く。
静まり返った廊下が、余計に心をざわつかせた。
やがて雪村の部屋の前に着き、襖の前で息を整える。
それでも声をかけると、すぐに「どうぞ」という穏やかな声が返った。
襖を開けると、雪村は机に向かって何やら書き物をしていたらしい。
顔を上げると、にこやかに霧島を迎え入れた。
「霧島さん。どうされました?」
促されるまま部屋に入ると、雪村は一瞬、霧島の様子に目を留めた。
手首を押さえ、血で濡れた指先がかすかに震えている。
「……それ、どうしたんですか?」
雪村の声が少しだけ低くなる。
霧島は言葉が出ず、視線を落としたまま黙り込んだ。
雪村は近寄り、そっと霧島の手首を取った。
袖をまくり、露わになった傷口を見て、目を細める。
「……噛まれたのですか?」
霧島は小さく息を呑み、ほんの一瞬答えをためらったが、やがて観念したように頷いた。
雪村はそれ以上は何も問わず、机の引き出しから薬と包帯を取り出した。
手際よく水を張り、霧島の手をそっと浸す。
「少ししみますよ」
そう告げると、冷水が傷口を洗い流した。
血とともに、焼けつくような感覚が走る。
霧島は思わず肩を震わせたが、声は上げなかった。
雪村は淡々と手を動かし、薬を塗ってから柔らかい布で血を拭った。
その表情は真剣そのものだったが、どこか安心させる静けさがあった。
「血は多く出ていますが、深くはないですね。骨までは達していません。今日はなるべく手を動かさず、安静にしてください」
落ち着いた声が、霧島の胸の奥にじわりと染み込む。
処置が終わり、きつすぎない程度に包帯で手首が固定されると、ようやく緊張がほどけていくのを感じた。
「……ありがとうございます」
霧島は深く頭を下げた。
雪村はにこりと笑い、「お大事にしてくださいね」と優しく言った。
部屋を辞するとき、霧島はそっと包帯の上から手首を押さえた。
まだ脈打つように痛むが、血の匂いはもうしない。
少しだけ、気分が楽になったような気がした。