第9章 嗜血
「……大丈夫か」
低く落ち着いた声が、しんと静まり返った部屋に落ちた。
斎藤は畳に膝をついたまま、藤堂から一瞬も目を離さずに霧島へ声をかける。その視線は鋭く、少しでも異変があれば即座に刀を抜くと告げていた。
「……はい、なんとか……」
霧島は肩で息をしながら、押さえた手首からじわじわと血が滲むのを見て息を呑む。
痛みよりも、藤堂の牙が自分に食い込んだという事実が、冷たく重く胸に残っていた。
「雪村に手当てしてもらえ。後は俺がなんとかする」
斎藤の声は冷ややかだった。
しかしそこに、霧島をこれ以上危険にさらすまいという、はっきりとした意志が感じられる。
「……わかりました」
霧島はかすれた声で応じ、よろめく足取りで立ち上がった。
だが視線は藤堂から離せない。
赤い光を失い、今はただ肩を上下させている藤堂。
さっきまで獣のように暴れていた男と、目の前の弱々しい姿が同じ人物なのか――霧島の心は混乱していた。
だがその奥底で、妙な確信が燻る。
あの瞬間、藤堂は本気で自分を襲おうとしていたわけではない。
牙を食い込ませながらも、どこかで必死に堪えていた――そう思えてならなかった。
斎藤がわずかに顎をしゃくる。
退出を促され、霧島は唇を噛みしめ、腕を押さえたまま部屋を後にした。
畳の上を離れる自分の足音が、やけに大きく耳に響く。
その時、背後からかすかな声がした。
「……ごめんな」
思わず振り返る。
藤堂は顔を伏せたまま、唇だけをわずかに動かしていた。
それが幻聴だったのか、確かな言葉だったのか、霧島にはわからない。
ただ胸の奥に、痛みと切なさがじんじんと広がる。
怒りでも恐怖でもない、名もなき感情が喉を詰まらせた。
廊下に出ると、冷たい空気が頬を撫で、ようやく呼吸が整う。
それでも胸のざわめきは収まらず、霧島は思わず壁に背を預けた。
(……生きてる。藤堂さんは、生きてる……)
その事実だけで、視界が滲んだ。
襲われた恐怖よりも、彼が生きてここにいることの方が、ずっと重かった。
袖で目元を拭い、痛む手首を押さえ直す。
雪村のもとへ急がなければ――そう思いながらも、足を踏み出すたび、先ほどの藤堂の赤い目と、最後に見せたかすかな表情が頭から離れなかった。