第9章 嗜血
霧島が立ち上がろうとした、その瞬間だった。
「……ぁ……」
かすかなうめき声が、張りつめた空気を裂く。
霧島は振り向き、息を呑んだ。
藤堂のまぶたがかすかに動き、やがてゆっくりと開かれる。
安堵しかけた霧島の胸が、次の瞬間には凍りついた。
「……ッ!」
藤堂の体がびくりと大きく跳ね、喉の奥から獣のような唸り声が漏れる。
髪が見る間に雪のように白く染まり、瞳は血のように赤く輝いた。
「うああああああああああッ!!」
畳に爪を立てるようにして跳ね起きる藤堂。
霧島は思わず後ずさりし、背中が柱にぶつかる。
「平助!」
斎藤の低い声が部屋を震わせる。
だが藤堂はその声に応じるどころか、獣のように歯を剥き、二人を睨みつけた。
「……っ!」
霧島が立ち上がる間もなく、藤堂は飛びかかる。
「ぐっ……!」
霧島は畳に押し倒され、息が詰まった。
耳元に聞こえるのは、荒く湿った呼吸。
赤い目が至近距離から霧島を捕らえ、次の瞬間、鋭い牙が閃いた。
「やめろ、平助!」
斎藤が間合いを詰める。
だが刹那の迷いが生まれた——刀を抜くか否か。
そのわずかな逡巡のあいだに、藤堂の牙が霧島の手首に食い込んだ。
「――っ!」
焼けつくような痛みが走り、霧島は声をあげた。
じわりと血があふれ、藤堂の喉がかすかに鳴る。
「平助!!!」
斎藤が背後から腕を取り、全身の力で引きはがした。
藤堂は狂ったように暴れ、畳を爪で裂きながら抵抗する。
霧島は手首を押さえ、震える身体でその姿を見つめた。
「霧島、下がれ!」
斎藤の叱咤が飛ぶ。
霧島は必死に後退りしたが、赤い瞳から目を逸らすことができない。
そこには怒りと悲しみ、飢えが渦巻いていた。
「……藤堂さん……」
霧島のかすれた声が部屋に落ちる。
その瞬間、藤堂の肩がびくりと震えた。
赤い光が次第に薄れ、白かった髪が少しずつ元の色に戻っていく。
やがて、藤堂は力なく膝をつき、荒い呼吸を繰り返した。
斎藤はまだ刀に手をかけたまま藤堂を見据え、警戒を解かない。
長い沈黙の後、静かに刀から手を離した。
「……羅刹か」
呟いた声は、夜気よりも冷たく響いた。
霧島はまだ震える手で傷口を押さえながら、膝をついたまま藤堂を見つめる。