第3章 信頼
霧島は桶に水を汲み、勢いよく顔へと浴びせた。
冷たい水が頬を伝い、心の靄を洗い流していくようだ。
霧島は気を引き締めて稽古場へと足を運ぶ。
屯所はすでに活気づいていた。
どこからか木刀が打ち合う乾いた音が響き、掛け声が重なる。
戸の隙間からは隊士たちの姿がちらりと見え、朝から鍛錬に励んでいるのが分かる。
(……負けてはいられない)
稽古場の戸口に立つと、中から力強い声が飛んできた。
「霧島、来たか」
斎藤だった。
すでに稽古着に身を包み、木刀を手にしている。
その背筋は伸び、凛とした気配を纏っていた。
「おはようございます、隊長」
霧島は深く頭を下げ、稽古場へと足を踏み入れる。
木の床は朝露を吸い、ひんやりとした感触を足裏に伝えてきた。
周囲には数人の隊士たちが見物しており、霧島が入ってきたのをちらちらと目で追っている。
斎藤は木刀を軽く振り、霧島に差し出した。
「まずは構えを見せろ。昨日の続きだ」
そこで斎藤は声をわずかに落とし、霧島の瞳を射抜くように見据えた。
霧島は息を呑み、木刀を受け取った。
静かに木刀を構え、視線をまっすぐ斎藤へ向けた。
稽古場に緊張が走る。
空気が張り詰め、木と木がぶつかる前の一瞬の静けさが訪れた――。
「来い」
斎藤の短い一言が合図となった。
霧島は息を吸い込み、一気に踏み込む。
木刀が空を裂き、斎藤の肩を狙う。
だが次の瞬間、鋭い音を立てて受け止められた。
「……っ!」
斎藤の木刀は微動だにせず、霧島の一撃を軽々と弾き返す。
衝撃が腕に走り、霧島は思わず歯を食いしばった。
「力に頼りすぎだ」
斎藤の言葉と同時に、鋭い突きが霧島を襲う。
反射的に身をひねり、かろうじて避けた。
木刀の先が袖をかすめ、冷や汗が背を伝う。
霧島は息を荒げながら、再び構えを直す。
斎藤の目は相変わらず冷静で、その奥に鋭い光を宿していた。
(……この人に追いつくには、まだまだ遠い。でも――)
渾身の力で木刀を振り下ろす。
斎藤は受け止めるが、霧島は踏み込みを止めない。
汗が滴り落ち、腕が震える。
「悪くない」
斎藤が低く言い、霧島を弾き返す。
だがその声には、わずかに満足げな色が含まれていた。
霧島は肩で息をしながら、再び構えを取った。
斎藤の背を追いかけるために――自分を超えるために。