第50章 『看病』斎藤一編
熱い。頭がぐらぐらと揺れて、天井が霞んで見える。
目を開けてもすぐに閉じたくなって、声すら出せない。
(……ここ、どこ……)
枕元に座る人影に気づいたのは、うっすら目を開けたときだった。
見慣れた紫の羽織、凛とした横顔。
「……さい、とうさん……?」
かすれた声に、彼の肩が小さく揺れる。
けれどすぐには振り向かず、ただ静かに冷たい布を額に乗せてくれた。
「気づいたか。……無理に喋るな」
その低く静かな声に、少しだけ胸が落ち着いた気がした。
いつもは寡黙で、どこか距離のある斎藤さん。
けれど今は、まるで護るようにわたしの傍にいてくれる。
手ぬぐいを水に浸して絞り直す仕草も、とても丁寧で――
「体温が高い。まだ動くな」
やがて、汗ばんだ肌を拭くために襟元に手が伸びる。
その指が止まり、長い沈黙が落ちる。
「……どうしても、誰かがやらねばならない」
「すまない」と小さく告げ、斎藤さんはまるで壊れ物に触れるような仕草で着物を解いていく。
熱のせいか、意識も恥ずかしさもぼんやりしていたけれど、その指が震えていたことには気づいていた。
「乱暴にはしない。……安心しろ」
額に落とされた手は、この上なく優しかった。
そして、着替えも、体を拭くのも、言葉ではなく態度で誠実さを伝えてくれる。
「……ももか」
この日はじめて、名前を呼ばれた。
掠れるほど小さな声だったけれど、耳に届いた瞬間、安心でぽろりと涙がこぼれる。
「ここにいる。夜が明けるまで、ずっと」
こうして彼は、そばに座り続けてくれた。
手を握って、目を閉じないまま、ひとときも離れずに――
朝、熱がすっかり引いたとき、わたしの手はまだ斎藤さんの大きな手に包まれていた。
そして目が合うと、彼はほっと息を吐き、いつも通りの低い声で一言だけ囁いた。
「……よかった。お前が無事で」
fin.