第3章 第一章幕 天女編
自分を巡って城の者たちが見せる深く歪んだ執着を、彼女は決して嫌悪しているわけではなかった。むしろ、自分がいることで彼らが乱され、振り回されることをひどく恐れていた。だからこそ、彼らに迷惑をかけたくはなかったのだ。蓮がそっと目を伏せたとき、背後から穏やかな足音が近づいてきた。微かに香る木々の匂い……諸泉尊奈門だった。彼の気配はいつでも静かで、夜の空気に馴染んでいる。
「どうかしたか?」
諸泉尊奈門の声は穏やかで、気遣うような響きを帯びていた。蓮は振り向き、淡い月光を背負う彼の顔を静かに見上げる。蓮の瞳には、言葉にできないような微かな揺らぎがあったが、彼女は静かに懐から小さな紙を取り出し、ゆっくりと筆を走らせた。
『ううん。なんでもない』
そう書き記された文字をじっと見つめていた諸泉尊奈門は、何かを感じ取ったようにわずかに眉根を寄せたが、あえてそれ以上は問わなかった。
「……そうか」
彼はそう呟くと、温かな手のひらを蓮の頭にそっと置いた。その手から伝わる優しさと安心感に、蓮の心がほんの少しだけ和らぐのを感じた。夜風がふたたび縁側を撫でて通り抜け、辺りを静かな香りで満たしていく。静かに続く夜、月の光の中でふたりは黙って佇み、ただ穏やかな沈黙が降り積もっていくばかりだった。