第1章 それでも君は、【太宰治】
「私の血を飲んでくれないかい?」
「血、?」
柱についていた手を離し、
膝立ちのままで宵朝を見下ろす。
困惑する宵朝に説明するように、
懐から短刀を取り出して見せる。
折り畳み式の其れの刃を繰り出して、
彼女に見えるように左の手のひらを翳す。
ゆっくりと刃を滑らせるのは
薬指の腹。
深くは無い、傷も残らない。
唯切りつけた所からは細く血が流れた。
「宵朝、本当に君が私を愛していると
そう言うのなら。この血を飲んでくれ給えよ」
心底呆れる。
こんな奇行を愛する女の前で
遂行してみせる自分の思考や性分に、
呆れた。
だが其れでも構わない。
もう、
ここまで来たなら
戻れないのだから。
行ける所までは
行ってしまおう。
宵朝の瞳には私の血が映っている。
それだけで幸福感をおぼえた。
「手、寄せてよ。私の固定されてるから」
「あぁそうだったね。まずは拘束を取ろう」
「血は?止まっちゃうよ」
彼女の制止も聞かずに
手首を傷つけないよう慎重に、
だが素早く拘束を解いた。
支えが無くなり脱力した彼女の腕を
二の腕から手首まで順になぞる。
幸い手首に拘束痕は無いようだった。
「血、大丈夫?すごいけど」
「興奮しているのだろうね」
「自分の血でしょ」
何で他人事なの と言った彼女は
その手を伸ばし私の左手を
小さな両の手で包んだ。
宵朝から触れられたことで
また流血が止まらなくなりそうだ。
そして薬指を見つめ、
口付けを一つ。
そのまま薬指を口に含み、
傷口に舌を当てて血を飲んだ。
余りにも扇情的な光景だ。
私の穢れた血を、
宵朝という女神が体内に収めようと
必死に吸い上げているのだ。
伏し目がちなその瞳には
私の手のみが映っている。
まさか、
自分の手に嫉妬する日が来るとは。
「もう、善いよ。」
それだけ言って頭を撫でると
名残るように指から唇を離した。