第1章 キミが泣いたあの日
数秒の間きつく大きな身体に包まれたかと思うと、回ったままの腕が緩み私の肩に顎が乗った。耳の後ろ辺りでサングラスがカチャリと音を立てる。物心ついてから一度も記憶のない物理的距離感に、思わず目が泳ぐ。
「本当はなんとなくわかってたんだ、一与さんに聞かなくても」
『うん?』
「…俺がまだまだ下手くそで、全然足りてないからだって」
そんなことない、影山くんは今も十分上手だよ。
そう伝えたかったけど、この人がその言葉を受け取ってくれる人じゃないことはよく知っていた。だってずっと近くで見てきたんだ。いつも上だけを見つめて、なりたい自分を追いかけ続けるこの努力の天才を。
『…大丈夫だよ、影山くんはこれからも』
「……」
『努力の出来る天才は最強なんだから』
「お?おう」
『影山くんは知らないと思うけどね、常に向上心を持って努力し続けることって実は簡単じゃないんだよ。でも影山くんは天才で、しかも人一倍努力が出来る。努力の天才なの。だから大丈夫』
「……俺がか?」
『この私が言ってるんだから、間違いない』
「ふはっ…お前が言うと、そんな気がしてくるのがすげえ」
軽く笑った彼の声は明るいはずなのに、一瞬体育館でのあの姿が浮かんだ。
『ねえ、…“飛雄”』
「おう」
『安心していいよ、私もう決めてるんだ。飛雄の夢の先には私が絶対にいるから』
そう言うと、彼の腕はピクリと動いた。
「…………」
『もう飛雄を、一人になんてしない』
「…言ったな?」
『言った、まだ言うつもりなんてなかったけど、もう言ってしまったので取り消さない』
「俺は待たねぇぞ。
……ついてこいよ、必ず」
「!…おっと」
突然後ろのほうから聞こえた声に2人して振り返ると、見知った住職さんが竹箒を片手に立っていた。にこやかに微笑んで会釈された私たちは至近距離で目が合い、違います!と声を揃えて離れると気まずくなって立ち上がった。
あたりは街灯がともり、すっかり暗くなっていた。木に目を向けるとあの2羽のカラスはとっくに飛び立っていた。
それから変な気恥ずかしさで彼の顔を見れず、ようやく家の近所に差し掛かったあたりで彼がサングラスを掛けたままだということに気が付いた。「どうりで暗いと思った」と言うので私は腹を抱えて笑った。