第32章 歪んだ愛で抱かれる 中編
「どうか顔を上げて…」
「はい…おそれながら…」
側室はそっと顔を上げた。
(可愛い人…)
幼さの残る顔立ち。
まるで蘭丸がくれた桃みたいな頬をしていて、その声は子猫の鳴き声のように愛らしかった。
他の妻との対面。
現代ではまずありえない状況。
一体、何を話せばよいのかわからずにいたら、利与がおそるおそる口を開いた。
「あの…名無し様が泰俊様に私の元へ行くように言ってくださったと聞きました」
「え…」
「ありがとうございました。私、名無し様のお心遣いが本当に嬉しくて…」
目をウルウルさせた側室から告げられる予想外の感謝の言葉に、名無しは思わず面食らってしまう。
別に彼女のために言ったのではない。
単に泰俊と一緒にいたくなかっただけなのに。
それに、側室にそんなことまで話しているのかと驚いて夫に視線を向けると、彼は目を細めながら二人の妻たちを眺めていた。
(変なの…)
「名無しは聡明で思いやりがある。それに努力家で、慣れない公家の作法を懸命に学んだり、この家に馴染もうとしてくれたんだ」
「はい。私も見習おうと思います」
手放しで自分を褒める夫に、感銘した様子で頷く側室。
(ああ…やめて…)
「そんなことはありません…!」
この空気、あまりにも気恥ずかしい。
不貞の後ろめたさもあって、いたたまれなくなりながら否定した。
利与も公家の作法に苦戦し、姑たちにやり込められているという。
「…私は公家に仕えていた侍女のかやから教わりました。利与様にもお教えするよう頼んでおきましょうか」
一刻も早く話を終わらせたくて、そう提案してみると、
「ありがとうございます!」
彼女はぱあっと顔を輝かせて礼を言う。
果たしてこの利与という側室は、泰俊の言う通り素直な娘なのだろうか。
それとも実はしたたかで、これは計算された態度なのだろうか?
計りかねたけれど、一つわかるのは彼女が心底泰俊に惚れこんでいるということ。
彼の一挙一動を熱く見つめる目は、恋する乙女そのもの。
本性はわからないが、もしこれが素なら泰俊とお似合いだと思った。
好きな人の元に嫁ぎ一緒にいられる喜び
それを彼女から感じる。