第5章 (五) 指先と灰
ここには、じつのことを明かしましょう。彼女は呪いでありつつ、しかし限りなく人間に近しい感性の持ち主でした。ゆえんはわかりません。たしかに彼女は呪霊であり、魂もありませんでした。
それでも、彼女は知っていました。人が生きるのに、とても大切なもの、魂や、命よりも大切なものを、彼女はその薄い身のうちに秘めていました。
だからこそ、彼女は彼の一言に、疑問を抱きました。
本当に綺麗、とは、どれのことだろう、と。
もしかして、と彼女の胸をささやかなきらめきがよぎります。もしかして、私のことを、綺麗……だなんて。
「それは」
彼女にとっては、その返事はなけなしのものでした。その綺麗っていうのは、桜?それとも、私?そう、大胆に訊くことができないほどには、彼女は「人間らしかった」のでした。それは、の次の言葉は、喉のあたりで詰まってしまっていました。
「桜とは、綺麗な花なんだなあ」
ふとしたそのとき、彼がぼやいて、彼女はああ、と息を吐つきながら笑いました。そう、その残念を笑って忘れることができるくらいには、彼女は、呪いでありました。
「本当」
彼女が、つぶやきました。
「そうだ、プラネタリウムだよ」
「ぷらねた、りうむ」
「知らないの?」
彼女はうなずきました。
「えっと、なんていうかな。一言で言うならば、星々が、ぎゅっと視界に集まってしまう球体の建物、かな。綺麗だよ」
彼女は、へえ、とうれしそうに笑みました。彼女の笑顔を見るのは、彼にとってははじめてでした。彼は、少しよい心持になりました。
それから、彼は彼女にもっと世界のさまざまなことを、教えてやろうと思い立ちました。幸い自分は読書や散歩などで、彼女よりかはもっと広い世界のあれこれを知っているし、そんな自分の話に彼女が笑う姿を望みました。
しかし次の日、そこを訪れても、彼女はいつもの樹の下におりませんでした。
その次の日も、おりませんでした。
一週間が明けて、それでも彼女は現れませんでした。
いつの間にやら、その樹に満開であった桜の花々は、みずみずしい青葉へとその姿を変えていたのでした。