第11章 (十一) かおりと開花
数日をおいて、彼は彼女のところへ出向きました。以前二人は、とある約束を交わしておりました。
お花見。その言葉は彼からでした。彼女が首をかしげたので、彼は合点、今度、この桜の樹の下で、お花見をすることを提案しました。「お花見」を知らなかった彼女は、あいまいにうなずきながら、彼の言うことを聞いていたのでした。
そして、今日は、お花見当日です。彼は右手に籠を提げていました。そしてそのなかには昼食だろう華やかな色が、上にかぶせた布の隙間から見え隠れしていました。彼は、その籠を顔の高さまで持って、彼女にあいさつしました。彼女は、うなずいてゆっくりほほえみました。
「ほら、そこ持って」
彼が彼女に、その布の端を持つよううながします。そして、せーの、という合図とともに、二人は大きく布を広げました。ばっと少しの草花が散って、それがおかしかったのか、二人は笑い合いました。
布の上に腰掛けて、まず彼がバスケットの中身を紹介しはじめました。
「これは、サンドイッチ」
クッキングシートにつつまれ、ふわりと豊かな食感のしそうなサンドイッチでした。彼女は少し胸躍りました。
「これが、お茶ね。ほら、見て」
彼の手にする魔法瓶から、コップへ、鮮やかに透き通る緑茶が注がれました。彼女はそうだ、と笑って、桜を摘んでその水面に浮かべました。水面で、ゆるりとほどけ、あたかも開花するように沈んでゆく花弁は、そのかおりが、さらにふんわりとほどけてただよったように感じられました。
「そして、これがいちばん大事、桜餅」
「桜餅」
彼女がくり返して、彼がうなずきました。そして、文庫箱のような箱を広げました。そこには桜餅のほかにも、三色団子、また、ほかの箱には煮物や、おにぎり、果実なんかがいくつもつめられてありました。
彼女は、はあ、と甘いため息をもらしました。しかしすぐに、はっとした表情にかわって、自分の頬をおさえました。
彼女は、彼を見つめていました。どうやら、思わずもれてしまったため息を、あとから恥じているようでした。彼は、彼女を見つめて、笑いかけました。まるで、おかしいような、愛らしく思うような、赦すような、そんな、笑顔でした。