第1章 出会いのお話
――そうだ、自分はもう死んでいる。
生か死の選択肢をつきつけられた時、迷いなくこの手を掴んだのだ。
未練があったから。まだ本当の願いを叶えていなかったから。
現実に気付くと同時に、偽りの世界が塵となって消えていく。
かつて失ったもの。ありえたかもしれない未来。
もう取り戻せないのだと、残酷なほど突きつけてくる。
「……くっ」
あらゆる記憶が、封じていた感情が、怒涛のように押し寄せる。
衝動に堪えきれず、熱いものが頬を伝った。
悲しいわけではない。悔しいのだ。
あの時、挫折したこと。
そして、今更こんな夢を見てしまったこと。
愚かな自分が腹立たしくて、言葉にならない想いが涙として零れていく。
袖で乱暴に拭おうとすると、思いのほか、強い力で引き留められる。
「泣きたい時は、泣いてしまえ」
青年は淡々と告げた。
優しくはないが冷たくもない声は、妙に胸に沁みる。
掴まれた腕が少し痛い。これでは涙を隠すこともできない。
「あなたが生きた証だ」
涙を流すことは忍として失格だ。
あくまでも忍として生きて死にたかった。
それなのに、止まらない。堰を切ったように感情が溢れ出す。
犯した罪も苦悩の日々も、この心の痛みさえもイタチの生き様だ。
青年はそんなイタチを肯定するように静かに微笑む。
まるで駄々をこねている子供を見るような、呆れと優しさが混じった顔だった。
「……っ、うぅ」
奥歯を噛み締めて嗚咽を殺す。
それだけは唯一の矜持だった。
「面倒な人」
青年は大仰に溜息をつき、濡れた頬を指先で拭った。
彼からはどこか雨の匂いがする。
「早くお行き。あなたを待っている人がいる」
青年がイタチの背を押す。
闇の中へと、現世へと送り出すように。
「安心なさい。怖いところじゃない」
「……本当に怖いのは、自分を見失うことだな」
「ああ、よく分かってるじゃないか」
青年は鈴のようにからからと笑う。
ちょっと小馬鹿にしたような笑い方だが、柔らかい声音だった。
「……お前、名は?」
意識が覚醒しようとしているのか、景色がぼんやりと歪む。
「……僕は」