第52章 猪くん。その体では無理ですよ。
伊之助は走馬灯を見ていた。
巨大な体を持つ鬼はまるで鋼鉄に刀を打ち込んでいるような感覚で、どうすることもできなかった。
手も足も出ないとはまさにこのこと。
逃げることも叶わない伊之助が諦めかけたとき。
フワッと体が宙に浮いたかと思うと、次いで落下しているような感覚になった。
気を失いかけていたぶん、その身に何が起きたのか理解できていない伊之助は、突如誰かに抱き止められた感触がした。
「大丈夫ですか?」
自分の回りで起きた状況を把握できずにいた伊之助が、誰かの腕に抱かれていると気付いたのは頭上から降り注がれる優しい声でだった。
その声に導かれるように伊之助が見上げると優しく微笑む見知らぬ少女がいた。
(誰だ?)
ぼんやりとした視界でもはっきりとわかる。
月をバックに微笑む少女の可愛らしさに。
「私は鬼殺隊、春空桜です」
(桜……?)
伊之助はまるで自分を安心させているような優しげな笑みを浮かべる桜を不思議な気持ちで見ていた。
「あとは水柱に任せてください」
(水柱……?)
そう言われ桜の視線と同じ方向を伊之助は見た。
背中を向けていた義勇が身を翻した一瞬、伊之助は、その水柱やらと目が合ったような気がした。
いや気のせいなんかじゃない、今も鬼ではなく自分をジッと見ている。
それも射殺さんばかりに鋭い視線を向けられている気がして、伊之助は鬼に殺されそうになった時よりもさらなる恐怖を感じていた。
よく分からない感情に伊之助の体がガタガタと震え出した。