第1章 ~移ろいやすく、移ろいがたく~
何時の間に拵えたのか、次の朝に続けて顔を出した光秀に夜長が慌てて傍の物入れ籠から取り出して差し出す。
「光秀さん、この間の針のお礼です」
信長への報告を終えるのを見計らっていたが、光秀があまりに流れる様な所作であっさり出て行きそうになったので急きこんで呼び止めてしまった。
「礼など要らんがな。俺が勝手にした事だ」
光秀は足を止め、妖し気な目で軽く言う。
「はい。なので、私も勝手にお礼をしたくなりました」
差し出されたのは手拭いだった。
正確な縫製で縁取られ、小さく刺繍を刺してある。
燕が一羽、繊細に刺繍されていた。
夜長なりに縁起物を考えたのだろうと光秀は内心小さく笑う。
「相変わらず針仕事は見事なものだな」
ただの燕ではあるが、糸の向きの揃い方は見れば分かる。
糸の色も単調な黒や青の一色ではなく、やや複雑な濃紺と銀鼠の二色を使っており、細やかな演出がある。
「そう言ってもらえて嬉しいです」
夜長も光秀の感想に安堵しながら、素直に嬉しい気持を伝えた。
「勝手に勝手で返されては断る理由もない。受け取っておく」
丁寧な所作で手拭を受け取る。
「はい」
夜長も無事に渡せてにっこりと笑った。
満足そうに笑う夜長に光秀は何か可笑しそうな笑みを返し、「ではな」と言い、信長にも一礼して静かに去って行った。