第2章 ~天下人とて人なれば~
<二>
朝、信長と夜長は二人で天主にいながらもそれぞれの事に手を付け、静かで穏やかな時間を過ごしていた。
特に会話は無くても心地の良い気楽なひと時である。
しかし、そのひと時が静かに流れていたところに襖の外から声が掛かり、家康が入って来た。
「おはようございます」
身支度を終え、脇息に凭れて新しく届いた書簡に目を通していた信長に挨拶をする。
「ああ。軍議まで時間はあるだろう。急ぎか?」
視線を上げて問うと家康は「いえ」と小さな風呂敷を持ち上げて見せた。
「急ぎという訳じゃないですが。夜長の方に用事です」
家康の言葉に夜長も顔を上げた。
普段よりやや遅い手つきで浅黄色の絽を縫っていた夜長が顔を上げる。
「私?」
「そう」
夜長の前まで歩いて行き、すっと腰を下ろす。
「あんた昨日怪我したばっかでしょ。なんで針仕事なんかしてるの」
呆れた顔で小言を言う家康に夜長は「無理はしてないよ?」と手元を見せる。
「左の人差し指は殆ど使ってないから。添えている程度だし、怪我も深くなかったのは家康も見たでしょう?」
「俺も同感だけど、切り傷は雑菌が入って腫れる場合もあるんだよ。今日くらいは手仕事しない方が良い。傷口診るからそれどかして」
縫物を指さして言い、風呂敷包みを広げる。
「えっと、ごめんね。わざわざ手を取ってしまって」
「謝るなら言われたように大人しくしてること」
素っ気ない声だが棘はない。
夜長の手を取ってすぐ、家康は手の甲や手首に鬱血痕を見つけ、信長が愛でた名残に一瞬動きを止めた。
夜長も気付いて何やら気まずい恥ずかしさで手を引っ込めたくなるが、それはそれでその後の振る舞いに困る。
家康は内心ため息を吐きながらも見なかった事にし、手早く指先の包帯を解き、清潔な布で生薬を拭う。
夜長も有難く沈黙し、家康の手当てを大人しく受けた。
しかし、信長が「他の男に触れさせるな」と言った事が脳裏を過り、信長の方へそっと視線を遣るが、信長は書簡に目を落としたままだ。
そもそも家康は要件を明確に言い、その際に信長も何も言わなかった。
目の届く場所で、それも医療行為と分かり切っているのだから構わないのだろうかと考えつつもやや緊張する。