第10章 遠い残響に耳をすませて
「あっ」
彼女の焦ったような声が耳元でした。また体から力が抜けてしまったらしい。やっと自分の足で立ったと思ったのに、また彼女に体を預けるような体勢になってしまった。
ほのかなシャンプーの香りにまじり、鉄の匂いがした。
見れば、左腕に赤い染みが滲んでいた。今日出陣してできた傷は、とっくの前に手入れしてもらったはずだ。とうとう痛すぎて出血する幻覚でも見始めたのだろうか。
いや、幻覚ではない。
やっと“現実”を取り戻したのだ。
傷を見て、可笑しな感情がうまれたことに気づいた。
これは、自分だけのものなのだ。
誰かになかったことにされたり、好き勝手に上書きされていいものじゃない。傷も痛みも、幸せな記憶たちも、それら全ての終わりも。全部、自分のものなのだ
安堵のようなため息がもれた。
これでやっと終わらせられるのだと、そんな確かな感覚が手のひらにあった。
それを思い出させてくれたのは、目の前の彼女だ。
「あんたは、あたたかいな」
自分の口許は、小さく笑みを形づくっていた。
いつの間にか、このあたたかさとも離れがたくなっていた。
頭の中でうるさかった誰かの声は、今は静かになって、彼女を邪険に扱おうとしなかった。まるで最初からいなかったかのように、気配もなかった。
今なら素直になんでも言えるような気がした。
あんたの霊力はあたたかくて、泣きたくなるほど優しかったよと。
だからこそ、もう、さようならをしなければならないことも。