第5章 はばたきは、にがく
「楓ちゃん。そういう人の気持ち、勝手に想像すんのよくないと思うで」
「う……」
怒られた。
確かに、彼の言う通りだ。
楓の部屋のベッドの中、彼に抱かれた後。狂児にコーヒーを飲みたいとねだられ、楓は二人分のコーヒーを作ってベッドに戻った。
それから楓はその腕の刺青の名前がどうしても気になって、狂児の意中の相手ではないかと尋ねてみた。
「ごめんなさい……」
「……まあ、気になるよなあ」
またあの眩しそうな目で、刺青を見ている。その横顔を見るたびに楓の心にさざ波が立った。
「まさか俺も、25も下の男の名前彫られるとは思ってもみんかった」
「……は?男?」
カラオケの先生で、男???
見えなかった話が、より一層見えなくなった。
混乱を極める楓に、ようやく狂児はその刺青を入れることになった、詳しい経緯を説明し出した。
「分かりました……じゃあ、その名前は、当時14歳の男子中学生の、お名前と」
「そういうこと。」
長い話だった。だが話を聞いただけで、聡明で、とてつもなく勇気のある優しい男の子なのだと感じた。彼との友情を、狂児は殊の外大事にしていたことも。
彼の名前のあの刺青はあくまでも好きで入れたわけではない、というのは理解できたけれど。
でも。狂児の話を聞いて楓はますます最初からの自分の考えに確信を持った。
刺青の相手に狂児は執心、いや、恋しく思っている。
彼は本当に大事にしたいものについては話さない癖がある、以前からそう思っていた。職業柄なのかもしれない。
だが先ほど怒られたばかりで、流石に言葉が出てこない。
そして恋をしている、とは思ったものの、楓は狂児の先ほど話したシチュエーションを、自分で想像するからそんなことを考えてしまうのだと思い直した。自分の身の危険や立場を顧みず、大事なものを捧げてしまう儚さと勇気。狂児の話を聞いている間、泣きそうになってしまった。
狂児のように、なんでも手に入れられる強者の立場なら、たとえその少年が全身全霊で捧げたものでも、特別な気持ちも、にべもなく受け取れるのかもしれない。