第1章 かくれんぼ(謙信)
色違いの双眸が大いに怒りの熱を帯びている。
この目を見ると信玄も愉快になるのだ。
謙信程ではないが信玄も刀の交わりには高揚する。
謙信の焔を見ると、逆撫でして大いに荒ぶった謙信と合いまみえたくなるのだ。
「……言うまで返さん」
にっこりと笑う信玄は鷹揚な癖に不穏だ。
普段ならまだしも、謙信も今はこんなところで足止めを喰らいたくはない。
「……」
どうしたものかと考える謙信に信玄も譲らない様子だ。
「ほら、理由を言え。時間が惜しいだろう?」
言われなくても惜しい。
背に腹は替えられぬと謙信も諦める。
普段なら信玄とやり合う機会を待ち構えているくらいだが、今ここで信玄と一太刀遊ぶのは愚策だと自分に言い聞かせる。
刀を抜くのは躊躇ないが、そう簡単に決着がつく相手でないのは分かっている。
それに、どうせ信玄の性格を考えれば口を割るまでしつこくちょっかいを出してくるのは目に見える。
ならばさっさと片付けた方が面倒が省けるというものだ。
「……あいつが脱いだものを他の男が持っているのは許せんが戦略としては有効だ。俺はこの香りを辿ってここまで来てしまったのだから上手を行かれたのは認める」
淡々と言う謙信に信玄は「ほう」と笑みを深める。
「それだけか?俺の目は節穴じゃないぞ?」
不敵に笑う信玄は見透かしている様にも見える。
やはり刀で押し切るかとも思うが、残された時間、そして冷静さを欠いているという自覚が思いとどまらせた。
誘いに乗るには簡単な相手ではない。
そしてそれを楽しむ余裕が今はない。
謙信は仕方ないと口を割る。
信玄は女にだらしはないが最低限のわきまえはある。
……と、信じるしかない。
「それは……香ではない」
「は?」
謙信の言葉に信玄は間の抜けた声を出してしまう。
「……あいつが無自覚なだけで、それはあいつの肌の香りだ!女が使う甘ったるい香りを俺が好かないのを知っていて、あいつはあまり香を使わん」
「……」
信玄は思わず手に持った羽織を見下ろし、その立ち上る香に夜長の白い肌を連想する。
「考えるな。言いたくない事を言ったのだからそれを寄越せ」
確かに謙信としては口が裂けても他の男に明かしたくない事だろう。
謙信の心中を思えば信玄もこれ以上大人げない事をするつもりはない。
むしろ少しばかり悪い事をした気にさえなった。
