第8章 鳥が籠から飛び立つ日
私が化粧をし終わり、出かける準備が整うと、ちょうどここを出なければならない時間になっていた。
「そろそろ時間だな。……行くか」
たぶん、私の人生の中で一番濃くて、楽しくて、幸せな時間だった。別れたくない。ここにずっと居たい。そんな気持ちをぐっと堪えて、私はテントを出る準備する。
「咲」
テントを出ようとしたら、名前を呼ばれ、後ろから抱きすくめられる。温かくて大きい理鶯さんの体、腕、体温、息づかい。最後の幸せな時間を噛み締めた。
「お前は靴擦れしていたな。そのヒールでここから歩いて行くのは大変だ。俺がおぶっていく」
「えっ、でも……」
「いいから」
理鶯さんは私の前にやってくると、私の鞄を肩に掛け、私に背中を向けて屈んだ。少し迷ったけれど、覆い被さるようにして乗っかる。理鶯さんは立ち上がり、私をおんぶしてくれた。
「じゃあ、行くぞ」
私は理鶯さんにぴったりとくっついて、目を閉じた。
そこから1時間、私と理鶯さんは何も話さなかった。何を話せば良いのか分からなかった。話すと離れがたくなりそうで、ただ体温を感じていた。
「……あれは左馬刻の車だな」
顔を上げると、左馬刻さんが車に寄りかかって煙草を吸っていた。
「よお、待ちくたびれたぜ」