第29章 in the fog 【前編】
(本当に、お菓子作り教室やってた)
美容師のお兄さんの言う通りの光景が広がっていた。しかも“人気のパティシエ”らしき人物が若い女の子なことにも驚いた。指導しているのは、一際若そうなツインテールの女の子。
バターの焼けた甘い匂いが漂ってくる。
焼き上がったクッキーを、参加者達は楽しそうに それぞれの籠(かご)や箱に入れていた。その作業をさせながら、パティシエの女の子はクッキーの食べ時や保存方法について解説している。
「プリン様は、お若いながらも万国(トットランド)で人気のパティシエじゃよ。今年はウチの店に来てもらえて…、本当に幸運じゃ」
「へぇ~、すごいですね。予約がないと、やっぱり参加できないんですかね…」
「それが…、個別教室の方に空きが出たらしいんじゃよ。婚約者が浮気して…」
「え」
(そうか…、
『好きな男性』に渡すものを作るんだから、お祭りの前に別れてしまったら作ってもしょうがないってことか)
「…相手の男を刺しちまったとかで」
「ええっ?!」
物騒なことをサラッと言う老人に、アルコは のけ反って驚いた。そんなアルコを安心させるように、老人は笑って続ける。
「ふぉっふぉっふぉ…大丈夫。そんなことをする女は捕まるよ、この島では」
「はぁ…、そうですか」
まるでそんなことが日常茶飯事に起こる島もある、みたいな言い方だ。
「そんな訳で、個別教室の方にキャンセルが出とるんじゃよ。ただ、プリン様にマンツーマンで教えてもらう訳じゃから、普通の教室よりずいぶん高く設定してあるんじゃが…」
「お金なら、あります。なんなら少し上乗せしても」
老人に金額を聞いて、交渉をした。
アルコは この島に来て間もないことも話し、お菓子作りだけでなく祭りのしきたりや作法についても教えて欲しいと伝えた。
「なら、個別教室がちょうどいいじゃろうな。プリン様に受けてもらえるか聞いてあげよう」
「ありがとうございます。お願いします」
そうこうしてるうちに、お菓子教室は終わったらしい。クッキーを抱えた参加者達は幸せそうな声をあげながら、骨董品に見向きもせずにアルコ達の目の前を横切って店を出ていった。