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忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで

第1章 出会い



彼女の元には夥しい量の噂が真偽を問わず、尾ひれもついて流れ込んでいたのに違いない。しかし彼女はその中から見事、正しい情報だけをかいつまみ、総てを把握しているかのように語ってのけた。

だからといって、籠の鳥である一遊女の発言をすべて鵜呑みにするほど愚かではない九郎太ではあったが、内心その情報仕分け能力に唸るところはある。
これを元に自らが情報の正誤を確かめに動けばずいぶんとやりやすくなるだろう、

心地の良い声に情緒豊かに語られて、気付けば拒絶した筈の杯には三杯目となる酒が注がれていた。

悪い買い物ではなかった。九郎太はくっくと笑うと立ち上がろうと立膝をつく、
真葛は驚いて思わず九郎太の手に触れる、大金を払っておきながらちょっとしゃべらせるだけ喋らせて昼七ツより手前で帰ろうとする。
指を絡めるように撫でると真葛はさらなる異様に気付く。

それは侍の手とは到底思えないものであったからだ。
男の手などどれだけの数触れてきたかわからないが、刀を振り、刀を持つ手まめとは違う、商人の手よりも農家の者に近い、鍬や鎌を振る者の手、縄を縛り荷物を担ぐ手だ。
真葛は男を誘う手付きを忘れ、その、大きく働く者の手が物珍しいかのように両手で包み込んで探ってしまう。

九郎太からしてみれば怪訝でしかない、その上忍びとしての勘が素性を探られる事に対しての忌避感を覚える。
大金をばらまき床入りを強要しない、自分が都合のいい客である、そしてまた来てくれと擦り寄る事は予想できた、
九郎太はその手を振り払うより強く引き抜くようにして女の手より逃れると、真葛ははっと我に返り深く謝罪に頭を下げた。「申し訳ありません」そして顔をあげ「良ければまだ、遊びに来てくださいね。」

長身の男はまた障子に頭をぶつけぬよう僅かに頭を下げ潜ってゆく後ろ姿、真葛は僅かに逡巡するも、立ち上がってその背に声を上げた。


「――お侍様のお名前を聞いても宜しいでしょうか」
「…柘植九郎太と申す者。また話を聞きに来る。」

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