忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで
第9章 天下泰平
「違います、私は貴方が居て、貴方との子が出来て、
それだけで幸せです、幸せですけれど、
貴方が覇気のない顔をされているのが嫌なのです、
あの野心に溢れていた頃の方が、楽しそうで、」
光圀に敗北した時潔く自害しようとした所、情に訴えたその時から、言うなればこれは自分の一人勝ちである。しかも勝ち逃げようなものであった。女は自責の念で唇をかみしめた。
本人がそう決めたときに死なせてやるのが惚れた女のすべきことだったのではないかと今頃押し寄せてくる感情があるのだ。
「真葛」
男が妻の名前を呼ぶ。そのごつごつとした、女がずっと好きだと言い続けた働き者の、忍びの――…
命を奪い続けた手を、新しい命宿る、膨らんだ女の腹にあてた。
女はその手を自らの両の手で包む。
「九郎太さま」
男は顔一つ分は下の位置にある女の顔に口を寄せると、女は嬉しそうにそれに己の唇を重ねた。
さて、その後どうなった事か、
逆賊を誅すべしという江戸からの刺客は訪れる気配はない。
光圀は彼らの命如何とするか、
彼らは平々凡々な幸せをかみしめ普通の貧しい家族となるのか、
またはひと花咲かせにその二人で持った溢れんばかりの才をもって光圀の目の届かぬ所で旗を揚げるのか、
何を持ってして、己の幸せを定めるのか。
それはまだ解らぬ話。
「愛しい旦那様。
地獄の底まで、お供しますよ」
ただ一つ、確信が持てることがある。
女は目を細めて愛し気に腹に充てられた大きな手ごと、新しい命を撫でる。
この愛は疑うべくもない、本物だという事を。