第8章 夏の華 ―ハイジside―
「ったく、呑気なもんだ…。ありがとな、ハイジ」
「ああ」
「つーかお前もちょっと濡れてんじゃん。着替えてこいよ。何か温かいもん用意しとくから」
ユキはキッチンに入り、やかんを火にかけた。
戸棚の扉を開け、中を物色しながら独り言を呟いている。
「舞は…コーヒーでいいか。ハイジはジジくせぇから緑茶だな」
ジジくさいとは何だ。
ひと言物申したい気もしたが、止めた。
俺のことまで気遣ってくれるユキは、やっぱりいい男だ。
ついさっき舞ちゃんに対して抱いた感情を、謝りたくなるくらいに。
今日の傷は、自業自得。
自分で抉ったようなもの。
ユキに出迎えられた時の舞ちゃんの表情。
出会ってから今日まで、俺には一度も向けられたことのない、花が咲いたような笑み。
ユキの隣にいる時の舞ちゃんは、悔しいほど綺麗だ。
「ハイジ?着替えねぇと風邪引くぞ」
「だな。緑茶、濃いやつ頼む」
「へいへい」
大切だ。舞ちゃんと同じくらい、ユキのことも。
この恋は此処に置いて、東京へ帰ろう。
その夜。
ミーティングを終え、一同は寝室へ向かった。
一人リビングに残った俺は、この先の練習メニューを見直そうかとノートを開く。
パタパタ、とスリッパの音が背後から聞こえる。
誰かがやって来る気配がしたかと思えば、テレビに近づきリモコンを手に取った。
「カケル?何か見るのか?」
「はい。去年の箱根の動画を」
「しっかり睡眠をとるのもトレーニングのうちだぞ?」
「少しだけ。藤岡選手の二区のところだけなんで」
「そうか」
今朝のミーティングのことを思い出す。
高校時代に起こした事件、榊くんとの確執。
抱えてきた不安、恐怖。
全てを包み隠さず打ち明けてくれたカケル。
メンバーの反応は予想通りだった。
俺たちが大切にしているのは、"今" だ。
今、カケルと共に走りたい。
全員がそう思っている。
ミーティングが終わった直後、カケルは俺にこんなことを言ってくれた。