第15章 天下の険
『止められなかったよ、俺』
「……え?」
もしかしたら聞き間違えたのかと思い、確認の意味も込めて問い返す。
『無理なら走らなくていい、途中で止まっていい、棄権しても誰も責めたりしない。……心ん中ではそう思ってても、あいつが俺の手を払って中継地点に向かう姿を見たら、口に出せなかった』
「……」
『それで良かったのかは正直わかんねぇけど。でも、神童が勝負を捨ててないことだけは確かだ。わかるよな?』
「うん…」
ようやく私は、伏せていた顔を上げた。
たぶん、どちらかが正しいなんてことはない。
逆に制止の言葉を残したとしても、それはそれで水を差す行為だったのではと、今頃悔やんでいたかもしれない。
でもきっと神童くんは、ユキくんの気持ちを汲んでいたからこそ手を払ったのではないかと思う。
ユキくんと話している間にも神童くんは後続の選手に次々と抜かされ、遂に最下位となる。
『これから小田原を出て、ジョージとそっちに向かう』
「わかった」
『神童のこと、頼むな』
「うん」
ユキくんとの電話で気持ちが引き締まった心地がした。
神童くんは走ることを諦めていない。
今大画面に映されている姿こそが、それを証明している。
せめて目を逸らさずに、彼の姿を見届けよう。
『こちら寛政大です!寛政大の田崎監督が車を降りました。監督自らが杉山を止め、棄権するんでしょうか』
監督が神童くんに歩み寄り、何か声を掛けている。
『あーっと!杉山が止まった!止まりました!』
両手を膝に置き、上半身を支えながら大きく呼吸をする神童くん。
その肩に、監督の手が伸びた。
棄権の決定権をもつ監督にとっても苦渋の選択だ。
それでも、神童くんが無事でいてくれることこそがみんなの願い。
ハイジくんがよく口にしていた。
「強いランナーでありたい」、と。
神童くんはそれを体現するような選手だと思う。
箱根を目指し始めた頃から、天下の険を上っている今まさにこの時まで。
ずっと、ずっと、真摯に走ってきた。
人としても毅然たる芯を持っているのが神童くんだ。
例え棄権したからと言って、それが "弱さ" に覆るはずがない。
神童くんは、これまでもこれからも、強くあり続けられる人だと思う。