第15章 天下の険
数日前の練習後。
『王子。無理に付き合わせて、すまなかった』
ハイジくんが唐突に口にした言葉が、耳に入ってきた。
みんなに聞くところによると、ハイジくんの陸上部勧誘はとんでもなく強引だったそうだ。
揺らぐことのない強固な信念を抱いた彼は、先の宣言どおり、9人を口説き落とすことに成功した。
箱根を目指すからには、並のトレーニングで済むはずがない。
特に王子くんに対しては他の8人より努力を強いてきたと、ハイジくんは自覚しているのだと思う。
「すまなかった」の理由は、きっとそれだ。
ハイジくんの気持ちは、わかる。
けれど謝罪の言葉を今このタイミングで口にするハイジくんが、私には意外に思えた。
『うーん…。そんな言葉が聞きたいんじゃないんだよな』
何だかひとり言のように唸ると、王子くんはスポーツ漫画の主人公たちの名前を挙げ始める。
「大切なことは全て漫画が教えてくれた」と豪語する王子くんだけあって、その主人公たちが陸上を続ける上での支えになっていたのだということが伝わってきた。
『僕は主人公も好きだけど、彼らを導く人も好きなんです。みんな厳しい。でも、当然ですよね。優しくされたいわけじゃない。"勝ちたい" んだから、選手は』
王子くんを導いてきた人は、紛れもなくハイジくん。
始めこそ、鬼のようだと悪態をついていたこともある。
巻き込まれて、苦しい思いをして、きっと走ることを好きになんてなれなかっただろう。
いや。むしろ走るのが嫌いだと、王子くんは言った。
でも嫌う以上に、"勝ちたい" という気持ちが内に芽生えたのではないか。
辛酸も重圧も憤りも。
感動も貫徹も尊重も互いを思い遣る心も。
その全てを共有してきた、アオタケの仲間がいたから。
決して一人ではなかったから。
自分に、勝ちたい。
仲間と一緒に、勝ちたい。
私には、王子くんがそう言っているように聞こえた。