第1章 嗚呼、君の美しい瞳よ/森鴎外
「上司の悪趣味、これ以上知りたくなかったです」
つん、と夜凪が言い放つと、森鴎外は目を丸くする。
先ほどとは表情が全く違う。
「ひどーい、私のこともっと知ってよお」
「知ったところで、私に何の利益もありません」
またも冷たく言い放って、「もう失礼しますね」と身を翻す。
本当に理解不能だ。私の上司。
ミスを強く責めないし、この横浜をとっても愛している、一見冴えない中年の男性に見えるが、やはりポートマフィアのボスであるからか、威厳はある。
多少。
しかしそんな上司だが、幼女好きだったり、饅頭の茶漬けが好きだったり、先ほども加虐なのがいいとかそんな風に言ったり、ふわふわと揺れる煙のようにつかみどころがない。
小さく、聞こえないようにため息をつく。
あとで、珈琲でも淹れよう。とびきり苦いやつ。
ドアの取っ手に手を掛けた瞬間、ばん!と音がして視界が暗くなる。
落としていた視線を前に向けると、視界の右側に白い手袋がドアに触れている。
触れているというよりは、思い切り当てているような。
引くタイプのドアのため、このまま無理にドアを開けようとしても、そうはさせてもらえないだろう。
自分の後ろに首領がいることはわかっている。
ぞわり、と恐怖を感じた。
音もなく近寄り、退室するため開けようとしたドアを抑えている。
『加虐的な嗜好があるのかもしれない…な』
先ほど、彼が言っていた言葉を思い出す。
この言葉が本当ならば、私は被虐の立場にいるということなのだろうか。
「あ、あの、なんでしょうか。もう失礼しますと、申し上げたはずですが…」
畏怖を含んだ声でそう問うも、後方からの返答はない。息遣いすら聞こえない。
一体この方は何を考えているのだろうか。全くわからない。
「綺麗な髪だね」
さら、と夜凪の髪に彼の左手が触れて、髪を指に絡める。
え、あの…と声を上げるも、髪に触れる指の動きは止まらない。
森鴎外は、髪を一束絡めたまま、それに口付けをした。