第6章 湯煙に紛れて/芥川龍之介
いつも通りな芥川であったが、内心は満更でもなかった。
魅月と交際してから1年ほど経つが、仕事の関係で泊まりで旅行に行ったことはなかった。
自身、あまり陽の当たるところは好まない性分だが、彼女の方がそれを好むので、どうにか埋め合わせできないものかと考えていたところだった。
取り敢えず、家に帰ったら聞いてみようと思い、封筒に入った券を外套のポケットへ入れた。
早くその日が来ないかと、暫くそわそわして過ごすこととなった。
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「戻った」
「おかえり」
いつものように外套を羽織ったまま帰ると、魅月は既に夕餉の支度をしていた。
鴎外から話を聞いてから旅行の前日になるまでは、長いようで短いようだった。
それは魅月も同じで、何を着てこうかとか、どこで食事を取ろうかとか、あれこれ考えながら箱根のガイドブックまで買ってきていた。
「明日から2日間は贅沢するので、今日は質素にしちゃった」
そうは言いつつも、焼き鮭と筑前煮、ワカメの味噌汁が既に卓に並んでいる。
「質素か…」
言ってみただけだよと、へらっと笑う彼女を見て口角を上げると、芥川は洗面所へ手を洗いに行く。
念入りに手を洗い終えて居間に戻ると、魅月は既に着席しており、「お腹空いたー」とぼやく。
「待たせたな」
「今日もお疲れ様でした。いただきます」
「いただきます」
箸を取り、2人は食事を始めた。
少しして、魅月が思い出したように「あ」と声を上げた。
「そういえば、明日の昼食、いいとこ見つけたんだよね。後でガイドブック見てくれる?」
「承知した」
「あとね、宿泊する旅館で夕食は出してくれるっぽいよ」
「ほう」
「あ、それからね。今日首領から聞いたんだけど、旅館に貸切風呂あるらしくてさ。首領がもう予約してくれたっぽくて。楽しみだなあ」
貸切風呂、と聞いて芥川は一瞬フリーズした。
が、すぐに「そうだな」と伝えて、味噌汁を啜った。
そんな感じの会話だが、魅月は幸せだった。
彼は寡黙で、癖のある人だと付き合う前は敬遠していた。
しかしある日、彼の方からいきなり告白をされた。一瞬とは言わず、かなり驚いた。羞恥心からか、いつもと違う彼の様子に酷く心打たれたことを思い出した。