第70章 残された時間
夕方の日が傾き、コンクリートの壁に橙色の影を落とす頃、練習を終えた部員たちが続々と部室に戻ってきた。
汗に濡れたジャージ、息を切らせた笑い声。
いつもなら練習後のこの時間はどこか穏やかで達成感の混じるざわめきが満ちている。
けれど、その日の空気はまるで違っていた。
重く張り詰めて、誰もが言葉を選びあぐねていた。
「緊急ミーティングを行う」
金城さんの声が響き部室が一瞬で静まり返る。
その内容は、裕介さんが今日限りで退部するというものだった。
言葉が落ちた瞬間、空気が凍りつく。
信じられないと言った視線が一斉に裕介さんへと向けられた。
「海外の大学に行くってどういうことなんすか!?」
沈黙を破ったのは鳴子くんだった。
声が震えている。
怒りと戸惑いが入り混じった声。
「3年生の追い出しレースはどうするんすか!?自転車は!?茉璃さんのことはどうするんすか!?」
言葉と同時に鳴子くんは勢いよく裕介さんの方へ詰め寄った。
椅子が倒れ、空気がピリピリと震える。
裕介さんはその衝動を受け止めるように立ったままただ俯いていた。
何も言わない。
「ねぇ、茉璃さん!!なんか言うてくださいよ!」
鳴子くんの視線がこちらに向けられる。
その瞳に宿るのは怒りでも涙でもなく、ただ”どうして”というまっすぐな問い。
でも、もう私の口から言えることなんてなかった。
「…ずっと前から決まってたことだから」
笑顔で答えたはずの自分の声がまるで他人のものみたいに冷たく響き、部室の空気がより一層静まり返る。
小野田くんは何も言えずにその場に立ち尽くしていた。
小さな肩がわずかに震えている。
それを見て胸の奥がキュッと締め付けられた。
この光景を一生忘れない。
裕介さんの決意も、鳴子くんの叫びも、誰もが堪えた涙も。