第70章 残された時間
5日間の夏休みが終わり、校舎には再び部活の掛け声が戻ってきた。
汗の匂いとタイヤの擦れる音。
いつもの光景のはずなのに胸の奥がざわついて落ち着かない。
この5日間。
裕介さんの荷物をまとめるのを手伝ったり、図書館で一緒に勉強したり。
裕介さんと過ごした時間はどこか特別であっという間に過ぎて行った。
その日々も、昨日で終わった。
今日は朝から太陽がやけに眩しい。
ドリンクボトルや補給食を部員たちに渡しながら練習に駆け出していく小野田くんたち1年生と、純太たち2年生の背中を見送る。
彼らの姿が校門の向こうに消えるのを見届けた後、私はそっと息をついた。
(…ついに、今日だ…)
今日、裕介さんは自転車競技部を退部する。
今頃監督の元へ退部届を出しに行ってるはずだ。
金城さんや田所さんにも伝えている頃だろう。
いつかくると覚悟をしていたつもりなのに、いざその瞬間が訪れると胸が締め付けられる。
そんな時、不意にポケットの中で携帯が震えた。
画面に映る名前を見た瞬間、胸の鼓動がひとつ跳ねる。
「おい!知ってたのか?巻島が、イギリス行くってこと…!」
電話の向こうから聞こえてきたのは焦りと驚きが混じった田所さんの声だった。
私は一瞬何も言えず黙り込む。
けれど、沈黙を破った自分の声は思っていたよりもずっと小さく、力なかった。
「…はい」
言葉が喉に引っかかるようだった。
夏が終わったという現実が重くのしかかる。
図書館で過ごした静かな時間も、彼の不器用な笑顔も、その傾いた背中も、もう届かないところへ行ってしまう。
そんな実感が胸の中で渦を巻き、それ以上声を出すことはできなかった。