第3章 思想と衝撃
そしてやっと俺の頭がオレンジとブラックの思考から解放され。我が家の日本建築の和風な家の扉を開け、サンダルを脱ぎすて、素足で床を踏みしめて二階への階段をのぼり、俺達六つ子の部屋に入ると。誰もいなかった。そういえば皆んな各自今日は外出する予定を前日に聞いていたわけで。午後3時に家に連中が帰宅するはずもない。ゆっくり誰にも邪魔されず集中して本が読める。
そう考えながら、いつものグリーンの使い古しただいぶ柔らかくクッションがなってしまっているソファーに寝転んで、仰向けになり本を開いた。
すぐに本の世界に引き込まれた。
本の内容の主人公は時代的にはずいぶん昔の人で、世界観も昔の日本のようだ。だが、読んでいてつまらないとかは思えず。いがいと主人公の考え方や感じ方や表現の仕方が俺は好きだし。作者の文章表現もこの感じ、嫌いじゃない。
秋への主人公が集めた詩材のキーワードが、共感する部分も結構あった。例えば、秋の蜻蛉への感じた表現が、俺は好きだ。【秋になると、蜻蛉も、ひ弱く、肉体は死んで、精神だけがふらふら飛んでいる様子を指して行っている言葉らしい。蜻蛉のからだが、秋の日ざしに、透きとおって見える。】ていう文面だ。儚く暗い部分もあるが綺麗にも感じる。そんな表現だと俺は思った。
ページをめくる。のんびりと秋の太陽の光を窓から浴びて読書する時間は、こんな俺だけど…とても有意義な意味がある時間を過ごしているように感じる。
誰もいない部屋で誰にも邪魔されず読んでいると、作品の内容も短い話だったらしく、すぐに読み終えれた。あっという間の文だった、だけど…すごく読んだ余韻が残る話だった。学生の頃にも読書はしてたし、本は読んだけど、こんなにハッキリと余韻が自分の中に残ったり、満足感まで読んで感じる作品には初めて出会えたと思う。作品にでてくる主人公は、まさに存在していた人のように感じた。
そういえばさ、この作品の題名『ア、秋』
シンプルだよね、題名。
俺の生きてる今の季節も秋だし、読んでみようかと思った理由の一つ。単純だよね。でも案外人間って最初興味を持つ感じってそんなもんでしょ。
作者の名前は『太宰おしゃむ』だってさ。
有名な文豪なんだってね。俺は太宰の作品を今まで読んだことなかったし、どう凄いのかも知らなかった。でも今日初めて読んでわかった気がした。俺みたいなヤツでも。