第4章 雪上の氷壁 【上杉謙信】
どうやら生家での環境はまともだったようで、至ってありきたりな上流階級の娘として育ったらしいのだが……
「───そして縁談が結ばれ、例の大名の正室となった訳ですが……」
それまで書面を見ながらすらすらと音読していた佐助の口調にやや変化が出てきた。
「夫婦関係はあまり良好ではなく…」
慎重に、しかしたどたどしい。
「彼女に対する風当たりは厳しく、着るものや食事も満足に与えられていなかったようで……
………
……すみません、これ以上は口に出すのも憚られます……」
俯き加減でスッと報告書をこちらに差し出す。
ゆらゆら揺れる蝋燭の灯火が映る眼鏡の奥では、複雑な胸中を物語る眼差しがあった。
「──……」
手に取り、自ら書面に目を通してみる。
そこには茅乃が日常的に伴侶から虐げられてきた生活模様が事細かに記されていた。
“御館様の言いつけは絶対ですから”
権力を盾になにからなにまで指示通りに動くよう恐怖を煽って洗脳し、時には人前で殴りつける事もあったという。
おそらくあの背中の火傷もそのような行いの中でつけられた痕だろう。
…読めば読むほど胸糞悪い内容だ。
羅列された文字ごと斬り刻んでやりたい衝動に駆られながら、それを火鉢の炭で炙った。
佐助に下がるよう命じ一人きりになった後も、心に巣食う憤りはこびりついて離れない。
───ずっと考えていた。
平民、いやそれ以下ともいえる粗末な着物を身につけ、
食を楽しむ余裕すらなく痩せ衰え、
指示通りにしか動けぬ操り人形に成り下がり、
自由の意味すら見失った、
茅乃という存在は何によって創り上げられたものなのか。
要因が判明した今、これまで引っかかっていた違和感全てに合点がいくのと同時に言いしれぬ感情が押し寄せてくるのを感じていた。