第4章 雪上の氷壁 【上杉謙信】
「以前ご馳走してくださいましたよね。私、あの味が忘れられなくって。
料理は不慣れなので少々時間がかかってしまいましたが…朝餉にどうぞ」
一体何が起こったのか。
未だ夢の中にいるのか、はたまた幻覚でも見ているのか…
茫然としていると、そんな俺の顔をしげしげと覗ってきた。
「…食欲ありませんか?」
「……」
「もしかしてまだ具合が…」
「大事ない。それよりも何故まだここに…
出立したのではなかったのか」
「出立、しましたよ。
でも…
引き返してきたんです」
「何故そんな真似をした」
「いつからか考えていました。貴方に対する気持ちは恩なのか、尊敬なのか、それとも別の感情なのか…
昨夜、褥の中でもずっと考えてて。
そして今朝、荷物をまとめて城の外へ一歩出た瞬間…やっと答えを見い出せた。
ああ私、謙信様が好きなんだ、って。離れたくないんだ、って…」
「…茅乃…」
「探しに行かなくとも、自由は既にここにある。自由と生きる喜びを与えてくれたのは謙信様…貴方です。貴方の隣こそが、私が求めていた居場所なのです。
どうかこの城で一緒に……、」
そこまで言いかけた茅乃の身体を力強く抱き締め、胸元に引き寄せる。
夢でも幻覚でもなく、
現の世でこうして直にまた触れられるとは思いもよらなかった。
今生の別れだとけじめを付けた矢先だというのに…だが茅乃の心の内を知った今、突き放す事などできようもない。
突き放すどころかもう二度と───
「離れたくない、と申したな。
俺のもとへ舞い戻ってきたからにはもう二度と離す気はない。覚えておけ」
「はい。心得ておきます」
死が分かつまで永久に離すまい、と。
たおやかに微笑む愛する者に口付けを落とした。
障子窓から見える白銀の雪は朝日に輝き…
そして、新たな一日が幕を開ける────。
完